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漫画好きの覚え書帖

小説/「サブカル勃興史 すべては1970年代に始まった」中川右介

2010年代に入ってからウルトラシリーズ、仮面ライダー、ガンダム、あるいはベルバラ、ポーの一族などが40、50周年を迎えている。逆算すれば分かるが、これらの大半は1970年代に始まったのだ・・・・

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 (中川右介「サブカル勃興史すべては1970年代に始まった」)

本書は1970年代を、「当時のテレビ番組の視聴者でマンガの読者だった者」という視点から「サブカルの勃興期 」だとしています。

それぞれの作品が生まれるまでと、誕生して、どう受け入れられ、どう派生していったかの歴史が客観的に書かれています。

またアニメ作品がどの制作会社が制作し、当時どのテレビ局で何曜日の何時から放映されたか、放映期間はいつからいつまでで何回放映されたかまで調べてまとめた労作でもあります。

取り上げられている作品は

第一話 静かに生まれた国民的キャラクター「ドラえもん」(1970年)

第二話 ウルトラシリーズの再出発「帰ってきたウルトラマン」(1971年)

第三話 石ノ森・東映ヒーローの誕生「仮面ライダー」(1971年)

第四話 スーパーロボットの出現「マジンガーZ」(1972年)

第五話 少年も読む少女マンガ「ポーの一族」とベルサイユのばら(1972年)

第六話 アニメ新時代の幕開け「宇宙戦艦ヤマト」(1974年)

第七話 ニュータイプのアニメ「機動戦士ガンダム」(1979年)

と誰でも知っている有名な作品ばかりです。

藤子不二雄にも不遇時代があった

70年代に子供時代を過ごした作者は当時の記憶からこれらの作品の歴史を書いていますが、こんな経緯があったんだと新たに知る事実には興味深い物があります。

「ドラえもん」が広く知られるようになったのは1979年にアニメが放映されて以降なのですが、それ以前の十年間はひっそりと小学館の学年誌(小学一年生から六年生まである)で連載されていただけでした。

60年代に小学館では「週刊少年サンデー」が創刊されてサンデーで好評なものは学年誌にも連載するという流れがあった頃、藤子不二雄は「オバQ」の大ヒットを飛ばします。

ところが「オバQ」の視聴率がまだ好調だったにもかかわらず、スポンサーの不二家から「オバQ」の菓子類の売り上げが落ちてきたので、打ち切りにして新しいキャラクターを作るよう求められたと言うのです。

子供向けテレビ番組がスポンサーやキャラクターグッズの玩具メーカーのご意向には逆らえないという構図は、もう既にあったんですね~

やむなく藤子不二雄は「パーマン」の連載を始めます。

その後も「怪物くん」「21エモン」「ウメ星デンカ」など有名作品を編み出し十分にヒットしているにも関わらず「オバQ」がヒットし過ぎたため「あまりヒットしなかった」という印象となり「藤子不二雄はもう古い」となってしまったというのです。

70年代、「オバQ」の大ヒットは過去の話で、もうサンデーからお声のかからなくなっていた藤子不二雄は小学館の学年誌だけが残された活躍の場となり藤本弘はコツコツと描き続けていたのです。

小学館の学年誌を読んでいた子供だけがその面白さを知っていたという「ドラえもん」が紆余曲折あってアニメ化されるまでの複雑な経緯が面白いです。

少女マンガの歴史は「手塚治虫」に行き着きその原点は宝塚歌劇なのだ・・・?

さてアニメや特撮と次々紹介されますが、あくまでも時系列を追ってまとめた物でもありますので作品の内容については触れられておりません。

誰でも知っている作品とはいえ、70年代にヒットした理由があるはずですから内容についても当然触れているものと思っておりましたのでそこはちょっと残念。

 

少女マンガからは萩尾望都の「ポーの一族」と池田理代子の「ベルサイユのばら」が取り上げられています。

「花の24年組」と呼ばれそれまでの少女マンガとは一線を画する文学性の高いマンガを描いた萩尾望都の「ポーの一族」と「少女マンガで歴史ものは受けない」と言われた中フランス革命を描いた池田理代子の「ベルサイユのばら」は、時代を象徴する傑作である事は間違いありません。

そして、この二人が手塚治虫の影響を受けマンガ家を目指した事も事実ではあるのですが、手塚治虫が宝塚市出身で宝塚歌劇団のファンだったから、少女マンガの原点は宝塚歌劇だという結論はいささか乱暴ではないかな。

当時のマンガ家で手塚治虫の影響を受けていない人なんているのかな。

この2作品が宝塚で上演されているからと言って、ちょっと無理やりつなげようとしてるようにも思えました。

まあ手塚治虫の偉大さは誰もが認める所ではありますが。

その手塚治虫によって始まったテレビアニメの歴史ですが、それを塗り替えた人物が「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーである西崎義展でした。

イスカンダルは遠かった

西崎義展という人は70年代半ば虫プロに入社しその辣腕ぶりで手塚治虫からは全幅の信頼を寄せられるようになります。

ところがクリエイターとしては天才だけど経営手腕のない手塚は、西崎との間で不明瞭な契約を結んでしまうのです。

まあよく読まずに何かの譲渡契約書に捺印しちゃったらしく、最後には西崎を忌み嫌ってたらしいです。

西崎はやがて「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーとして名を馳せ 、これまでは「テレビマンガ」と呼ばれていたのが「アニメ」と言う名称で呼ばれるようになります。

「宇宙戦艦ヤマト」はテレビで放映したものを再編集して劇場公開したら大当たりしたり、主題歌も大ヒットしたりと多くの点で画期的でした。

しかし作品自体の素晴らしさとは別に、松本零士との著作権裁判とか何かと問題が多いのは西崎がすこぶるダークな人物だからです。

そして人気絶頂でやめときゃよかったのに、ビジネスとなってしまって延々と続編が作り続けられる事になります。

ファンというのは有難い物で、確かに熱心なヤマトファンがいるのかも知れませんが、なんかウンザリする。

 

特撮と子供向けアニメに限定されてて「サブカル」のすべてとは言えないと思いますが、様々な大人の裏事情が知れて楽しい一冊ではあります。

が、取り上げている作品にムラがあって作者の子供時代の思い出話を聞かされてるような気になってしまうのがちょっとね。