2017年にこの漫画の連載がビックコミックオリジナルで始まった時、実はあまり読む気持ちがしなかったのである。
昭和天皇はつい最近の人物だし伝記を漫画で描いたとて何か目新しさがあるとも思えん。
まあ天皇を漫画にする事自体は画期的なのかもしれんが、学校の教科書みたいな内容ならつまらない事だ。
しかし能條純一先生であった。「哭きの竜」の。
うーん、弱ったのお。
しかも原作は半藤一利の「昭和史」との事。
なんか最強の布陣に魅かれて私は読んでみる事にしたのである。
この作品は、かの人の子供時代から描かれている。
まず登場するのが足立タカという女性である。
タカは東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学付属幼稚園)の教諭であったが、明治38年「皇孫養育掛」として幼少時の迪宮(みちのみや)裕仁の養育にあたった。
皇孫(こうそん)とはすなわち時の明治天皇の孫という意味。
当然ながら当時の皇室は現代とはまったく違う。
当時は子供は生まれると里子に出すしきたりで、親子は一緒に暮らさなかった。
迪宮はまだ5歳で寂しいだろうと思うが、なんか父親(後の大正天皇)も母親も顔を合わせてもどこか他人行儀つーか、高貴な人ってああなのかね?
庶民が思うような親子の情愛などはあまり感じられないのである。
5歳位ならまだ母親を求める時期だが、そもそも親と一緒に暮らすという発想もないわけで、でもやはりどこか寂しそうに見える。
だからタカは自分はそのために呼ばれたのだと理解して迪宮に愛情深く接したのである。
でもタカは相手が皇孫であっても駄目な事は駄目だとキチンと教えた。
また自分が間違っていたと気づけば率直に謝るし、彼女の人柄もまた素晴らしい。
昭和天皇が幼少時にタカの影響を大いに受けたのは間違いないが、いったいどんな子供だったのかと言えば、実に子供らしさのない子供だ。
聡明で大人みたい。
迪宮は13歳になると住居を高輪御所へと移し一人暮らしが始まるが、タカが来るとうれしそうに話したりしてる。
翌年の事、突然タカに今すぐ来てくれと連絡があり慌てて駆け付けると迪宮は立派な軍服姿で出て来た。
実は軍服のボタンがなかなか掛けられなくて内緒でタカに電話したが一時間もかかってやっとできたよ。
と、コソっとタカに告げると出かけて行ったのである。
タカが茫然と見送りながら、迪宮が一人なのだと痛々しく思うあたりはもう養育係というよりも母親である。
人手はいっぱいあるだろうが、こういう事を言える人が身近に誰もいないとはなんとも孤独なものだ。
タカは迪宮が15歳になると皇孫養育掛の役目を終え、海軍少将鈴木貫太郎の元へ嫁いだ。
鈴木貫太郎って戦争末期、日本がポツダム宣言受諾を迫られ降伏か本土決戦かでもめにもめた時の首相である。
映画「日本のいちばん長い日」で山崎努さんが演じた老獪なおじいちゃん総理じゃないの。
そっかー、鈴木首相の奥様になったのねー。
思わぬ所で話がつながりうれしいのである。
昭和天皇は鈴木首相に「タカの事は母親のように思っている」と語っていたらしい。
さて次に登場するのは明治の有名人・乃木希典である。
乃木は日露戦争の旅順攻略の際(あの二百三高地ね)大勢の兵士を死なせた自責の念 にかられ明治天皇に腹を切らせてほしいと訴えてたが、皇孫が学習院に入学する事からその養育を乃木に託すべく学習院長に指名された。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むとめっちゃ無能扱いだったけど、迪宮が尊敬する人物を聞かれ源義経と答えたのが気に入らず、なんで明治天皇って言わなかったんだと怒るあたりホント自分の価値観を押し付けてくる頑固なじいさんにしか見えない。
乃木が明治天皇の崩御により妻と共に殉死した事も当時の国民がそれを称賛した事も、今の時代に生きる我々にはちょっともう理解できない感覚なのである。
まあこんな感じで迪宮裕仁に関わった、自分が知っている人も知らない人も含め歴史上の有名人が続々と登場してくる。
大正3年に学習院初等科を卒業した後は、元海軍大将・東郷平八郎が総裁を務める東宮御学問所に入る。
これは将来天皇になる東宮に対して専門的知識を進講する迪宮のための学校である。
特に帝王学などというのは何を教えるのか興味深々だが、選ばれた教師はその道の一流の人物にもかかわらず、なかにはどうしても自分の主張したい事を脱線して教えようとする人もでてくる。
だから東郷はいつも後ろで授業を一緒に受けて、教師が教える内容に目を光らせてなくちゃならないわけなのである。
周りには大人しかおらずいつも大勢の大人に囲まれていて、迪宮に子供らしい自由があるようには見えない。
でも迪宮は自分の置かれている立場をわきまえているから、それは仕方ないのだと子供心に納得してるのである。
しかし読んでて一番興味深かったのは父である大正天皇と母である貞明(ていめい)皇后だ。
大正天皇って、なんか明治天皇と昭和天皇に挟まれてイマイチ存在感が薄いと言うか、暗愚だったとか、読み終わった詔書を丸めてのぞいたと言う「遠眼鏡」の逸話とか曰く付きの人だ。
でも作中では子供のように純粋で無邪気な人なのである。
とても気さくで身分に構わず声をかけたり自由奔放で思った事をすぐ口に出したり行動してしまう所とか、なんか親しみやすくて好きになっちゃう。
だが現代ならいざ知らず、この時代の天皇はこれじゃ軽すぎて駄目なんだろう。
明治天皇と同じようなスタイルを大正天皇にも求めようとする人たちからすると、あまりに威厳が無さすぎなのである。
それで恐らくもう大正天皇には匙を投げ、皇太子裕仁を明治期のような権威のある天皇に作りあげようとしたのである。
天皇が神聖なのではなく天皇を神聖だと考えている人たちの価値観によって天皇は祭り上げられている。
裕仁は聡明だから自分が何を求められ何をすればよいかがわかっているように見えるな。
「おやっさん、言うちょいたるがのお、あんたは始めからわしらが担いどる神輿じゃないの。組がここまでになるのに誰が血ぃ流しとんの。神輿が勝手に歩ける言うんなら歩いてみいや」
「仁義なき戦い」より・・・
そして、病弱で意志も弱そうな大正天皇を支えながら、まるで女帝みたいな威厳を持つのが妻の貞明皇后であった。
彼女は執務不能に陥った大正天皇の病気を理由に「摂政」として裕仁を擁立しようとする動きに対して立ちはだかる。
病の大正天皇に代わり皇室を取り仕切り、元老や重臣たちと渡り合う姿は、気丈で頭脳明晰な女傑である。
時の首相・原敬や元老たちが裕仁を摂政にして事態を収めようとするのに対し、貞明皇后は懸命に大正天皇の権威を守ろうとするのである。
そこにはみるからに女帝という感じの貞明皇后の威厳への脅威があるようにも見える。
だが実の子である裕仁を見守ろうとするのではなく対立しようとするって、どういうこっちゃ。
これはやがては母と息子の確執へと繋がってゆくのである。
いやー、こんな話は私知らなかったな。
でも考えると、私の知ってる昭和は戦後の昭和なのである。
戦前の昭和はそれこそ教科書に載っているような事しか知らなかった。
昭和天皇を知る事は戦前の昭和を知る事だ。
きっとこれから、日本を戦争へと引きずり込んだ政事の構造も描かれるはずである。
たぶん。