1966年、初夏。
西見薫は横須賀から長崎県佐世保市にある佐世保東高校に転校して来た。
薫は線の細いメガネ男子だ。
医学部志望の秀才で趣味はピアノ。
だが父の仕事の都合で小さい頃から転校を繰り返していた彼にとって、学校生活はただ息苦しいだけだった。
ナイーブで友達付き合いが苦手な彼は、新しい環境にもなかなか馴染まずストレスによって吐く癖までついてたのである。
けど同じクラスになった川渕千太郎と出会い、薫はジャズを演奏する楽しさを知るのである。
これまではクラシックしか弾いた事がなかった薫が 千太郎のドラムに合わせて練習するうちに、薫の頑なだった心は解放され世界は広がって行った。
千太郎は札付きの不良で乱暴者だったが、開けっ広げで底抜けに明るくそれでいて優しさも持っていて、プライドの高い薫が彼には心を許すようになる。
千太郎は薫と違い背も高くバンカラ風の美形である。
また千太郎の幼なじみで純朴で心優しい律子に恋しちゃったりというね。
佐世保にやって来てからの薫の高校生活は、これまでとはまったく違う物になったのである。
もおー、薫さんたら何言うとっと?
千太郎、喧嘩ばかりしたらいかんよ
いやー、優しい笑顔で薫の孤独な心を癒す律子の飾らない方言がなんとも魅力的で、佐世保弁てよかとよ。
この3人が通う高校は坂の上に建っているのである。
いつも3人で歩く坂道は彼らにとってはありふれた日常の中の一コマに過ぎないが、美しすぎて楽しすぎて、大人になってからきっと思い出す青春エピソードだ。
レコード店を営む律子の家の地下室が練習場となり薫は千太郎と演奏するジャズに夢中になる。
ジャズって即興で演奏するのね。
漫画は音楽が鳴らないのが残念だなあ。
アニメ版も制作されてるのでそちらはバッチリ聴く事が出来る。
他に律子の父のベースと大学生の桂木淳一のトランペットでカルテットを編成し、クリスマスには米兵が集まる外国人バーで初めて人前で演奏をした。
律子の父はレコード店を経営するかたわらジャズを愛する親父で、淳一は東京の大学から帰郷中のちょっと危険な香りのするイケメン。
かっこよすぎて、千太郎は淳兄と呼んで小さい頃から憧れていたのである。
そんな千太郎は上級生の美女・深堀百合香に一目惚れしてしまう。
喧嘩にゃ強いけど女にはまったくウブな千太郎の恋を応援しながら、薫は律子への思いを募らす。
しかし律子は千太郎の事が好きなのであった。
それを知りながら律子に身勝手な思いをぶつけ薫は失恋してしまう。
ええと・・・
つまり、薫は律子を、律子は千太郎を、千太郎は百合香を、百合香は淳一を好きなわけ。
見事に恋の一方通行なの。
傷心の薫は思わず千太郎に八つ当たりするが、彼の意外な生い立ちを知る事になるのである。
とまあこんなあらすじなんですわ。
佐世保を舞台に、坂の上にある高校に通う二人の男子高校生がジャズを通して仲良くなり信頼と友情を深めていくっつーね。
そして時代背景がなんだか郷愁に満ちたものに感じるのは、作品の設定が60年代(昭和40年代)だからだ。
この時代の日本は高度経済成長期である。
日本は敗戦から立ち直り、日本人の生活と意識は大きく変わって経済大国への道を歩み始めていく。
幼い時に生き別れた母親に会うために上京した薫を心配してついてきた千太郎は、初めて見る東京駅の人の多さに「祭りか?」「初売りか?」と驚愕する様子がコミカルに描かれたりする。
日本は復興を遂げ勢いを取り戻したように見えるが、地方ではまだ戦争の影が色濃く残り、千太郎の生い立ちに見るように差別や貧困もあったのである。
それでも若者たちの間ではビートルズが流行り薫たちの学校でもロックバンドが組まれたりする。
しかし青春は時に残酷で、千太郎が兄のように慕っていた淳一は東京で学生運動に巻き込まれ身を滅ぼして行くのである。
佐世保は戦後日本きってのジャズの町だ。
そしてこの町と米軍の関係は切っても切り離せない。
外国人バーでは白人の酔客から「黒人のジャズは嫌いだからやるんなら白人のジャズをやれ!」と絡まれたりわけわからん。
そういう時代なのかな。
淳一は機転を利かせチェット・ベイカーの曲を演奏してその場を切り抜ける。
チェット・ベイカーと言えば、彼を描いた映画「マイ・フーリッシュ・ハート」を昨年鑑賞した。
チェット・ベイカーは1950年代のジャズ・シーンにすい星のごとく現れ、マイルスを凌ぐほどの人気を博したトランぺッターでシンガーだ。
彼は絶頂と転落の人生を送り、酒や女や麻薬に溺れ、58歳の時にオランダのホテルから転落死した。
その死の真相に迫るという触れ込みの映画だったけど、正直見なけりゃ良かったと思ったんだよね。
暗~い気持ちで帰って来たんだ。
チェット・ベイカーのファンはがっかりすると思ったな。
以前、イーサン・ホークがチェットを演じた「ブルーに生まれついて」を見たけど、こちらのが数倍良かった。
チェットは40歳の時、麻薬の金を払えず殴られて前歯を折られトランペットが吹けなくなってしまった。
差し歯を入れてまた吹けるようになるまで何年もかかったのだが、大変な努力と忍耐と孤独の日々から這い上がり再び返り咲くまでが描かれている。
だがそれほどの努力が出来る人が麻薬はやめられないのである。
チェット・ベイカーの歌声を始めて聴いた人は驚くと思う。
女性的な声で、囁きソングみたいな歌い方で、間奏にゆるトランペットの演奏が入る。
とても叙情的だ。
若い頃は溌剌としてジャズ界のジェームス・ディーンと言われるほどカッコ良かったんだけど。
誰にも真似出来ない音を奏でる事が出来るのに、ステージを降りればホントにだらしないダメ人間で破綻者なのである。
こういう人はこんな生き方しかできないんだ。
けどなぜか人を惹き付ける。
いつまでも大人になり切れず青春の影を引きずってるようにも思えた。
映画を見てて淳一の事を思い出し、淳一のモデルはチェット・ベイカーだったんだなあと思った。
この作品は音楽漫画だけど、ジャズは時代を象徴するBGMのようなもので主題はあくまで薫と千太郎の友情だ。
ちょっぴり斜に構えた薫にとって千太郎はまぶしい太陽のような存在だった。
けれどその太陽にも隠された暗い影の部分がある事に気づく。
アメリカ人の父を持つ混血の千太郎がどうして不良になってしまったのか。
やっぱこの時代はまだ偏見が強い。
近所に住んでいた律子の父や淳一や律子といった人たちは、そんな千太郎を幼い時からずっと見守っていたんである。
千太郎の生い立ちを知った薫は涙を隠そうともせず、これまで甘えていた自分自身を恥じる。
読んでるこっちが恥ずかしくなるほどの率直さで千太郎のために泣いてしまうのだ。
それはとても純粋で忘れてた美しいものを見たような気になる。
青春だなあ。
いつの時代でも青春はキラキラと輝きそしてちょっと切ない。
自分は何のために生まれて来たのか。
自分の居場所はどこにあるのか。
それは若者の普遍的な苦悩だ。
そしてやがては自分の道を見出して行くのである。