まずはザックリとあらすじをば。
主人公の加治理津子(30歳)はデビュー作以降、新作がまったく書けない小説家で、今は元担当編集者で妻のいた野田(36歳)とすったもんだの末、結婚をして専業主婦のような生活を送っている。
ある日、「俺は30歳になるまでに死ぬ」と語っていた、かつての男友達・中島が自殺した事を知るのですが、彼は死ぬ直前に8人の女性にメールの一斉送信でプロポーズしていましてね、理津子は彼の死の謎を解くためにその女性たちに会う、とまあそんな内容でございます。
さて、理津子と野田は「りっちゃん」「史くん」と呼び合う仲睦まじい夫婦だ。
しかしなんだろ、彼女は自分を大切にしてくれる野田に尽くしているつもりなんだろうけど、実際のところまったく胸の内を見せないのね。
野田は理津子との子供を熱烈に欲していて妻の排卵日まで把握しているのだが、理津子はこっそりピルを飲んでいるのである。
この二人は二言目には「史くんいつもありがとうね」とか「りっちゃん愛してるよ」とよく口にするけど、ホントに口だけで、不自然なうわべだけの夫婦関係なのよ。
そんなある日、理津子の夢に現れた中島が「それほんとうにお前の人生?」って問いかけてくるんだけど、理津子はわからないとしか答えられない。
電話の着信で目覚めた理津子は、30歳になるまでに死ぬと断言してた中島が本当に30歳になる3日前に自殺した事を知らされる。
「俺が何も残せなくても、俺が生きてた証拠みたいな物語を書いてよ」
大学生の時、中島にねだられ死ぬ死ぬ言ってた彼を引き留めたくて理津子は必死で小説を書き、それが彼女のデビュー作となった。
作品に登場するアオイという名の青年は中島がモデルだ。
彼の現実の死によって、理津子の心は揺らぎ始める。
一方、理津子の新担当となった小出(26歳)は週刊誌から文芸編集となってやる気満々でして、理津子にもう一度書かせるためのネタを中島の死の真相から得ようと彼女を焚きつけ、一緒に大阪へ行き調べようと誘う。
この理津子だけど、小説家にちっとも見えないだけでなく、若干メンヘラ気味で行動が不可解というか、自分の人生は喪失していくだけだと考えているネガティブな女性でしてね。
彼女の心がとても空虚で、なんつーか、自分が消えてしまって呼吸する事も忘れてるような、手触りのない世界で生きてるような人とでも言えばいいのかな。
なんかコワイのよ・・・
絵はウットリするほど綺麗な線なんですけど。
彼女は5年前に父親が誰かもわからないという子供を出産後、乳幼児突然死で亡くしていましてね、それは悲しい出来事でしたが、その時担当だったのが東大卒で名編集者と言われていた現在の夫なのだ。
彼は妻のある身で理津子にのめり込み、妻の知る所となり大騒ぎになって会社を退職し離婚して現在に至る経緯は、なんか男を不幸にする女なんじゃね?と思わずにいられないよ。
しかしまあ小出がノリが軽くて理津子のメンヘラに引きずられないのが幸いである。
訪ねていった大阪の中島の家では妹から「出てけよ。疫病神!」と罵られる始末である。
しかも理津子は疫病神が自分の事だとは気づいていないのである。(なんか変でしょ?)
妹は「お兄ちゃんは加治さんとつきあうようになってからおかしくなったのよ!」と言うし、理津子の元カレの安藤も同じ事を言っていた。
ちなみに元カレが安藤で、その友達が中島で、「お前は重すぎる!」と安藤に振られボロボロになった理津子を誘ってくれた中島の事を好きになってしまい肉体関係を持つが、自分だけがのぼせあがってた事に気づかされいたく傷つけられたのである。
まあ若いんだからくっついたり別れたりするのはいいとして、二人は恋人同士ではなかったけど理津子にとっていい思い出も悪い思い出もある忘れられない男なのだ。
しかしながら、死ぬ直前に8人にプロポーズしていたとは、もしかして一人でもOKしてくれる人がいたら死ぬのはやめてその人と生きてみようと思ったのかな。
彼は死にたがっていたけど、同時に生きたがってもいた。
自死する人は生と死の間で激しく心が揺れ動くのだ。
1人目は理津子の元親友。
2人目は働いていたホストクラブの同僚の客だったキャバクラ嬢(彼女を寝取ったせいで店をクビになった)
3人目は8歳年上の不動産屋に勤務する女性で、彼女は年下の彼氏ができて会社の金を横領してクビになっていた。
中島は彼女たちにとってどんな存在だったのか。
ただのヒモか。クズ男か。
それとも一生涯忘れぬ運命のような男だったのか。
彼女たちを知りたい。
なぜなら彼女たちは理津子自身だからだ。
「サターンリターン」とは、占星術では惑星のサイクルが重要なのだが土星(サターン)の周期はおよそ29年。
誰でも29歳の前後には土星が生まれたところの位置に戻っていてこれを「サターンリターン」と呼び、大なり小なり人は現実の壁に向き合い、いろいろな気持ちがないまぜになりもがいて苦しんで自分なりの着地点を見つける。
つまり過ぎちゃえばなんでもないけど大変な変容な時期、人生の節目らしい。
(鏡リュウジさんの公式ブログから調べました。エヘッ)
喪失感だけが人を殺す事ができるというのは、刺さる人には刺さるかもしれん。
たとえば安藤のように幼稚園の運動会のリレーで筋肉痛だわとか、ちゃんと朝起きて煙草もやめてフツーのしあわせとか思ってる人はいいのよ。
人生は喪失していくだけじゃない。得るものもあるのだと、若い時はなんとも思わなかった子供や家庭が喪失を埋めてくれる事に気づいているから。
だから野田が執拗に理津子に命を授けようとしたのも、彼女のような空っぽ女は子供を産んで母親になればよいのだ。子供は無心に頼ってくれるものね。
彼は排卵日以外は挿入しないと言って自分で処理する派で、その割にはベタベタしてくるからなんなんだコイツと思ったけど、理津子が一緒にいながら心がここにない顔をしてるもんだから自分の方を向かせたかったんであろう。
ヤバイのはやっぱ理津子の方である。
ウツが症状固定したような暗くてどうにもならない感じは、足を踏み入れたら彼女の胸にあいたブラックホールに捕らわれてしまいそうで怖い。
そしてこの作品は自殺というたぶんにセンシティブな問題を扱っていて、あたしは自殺した人についてアレコレ調べて真実を暴こうとするのはいい事だとは思わない。
そういう事が許されるのは家族だけだと思うから。
それはさておき、おもしろいのかおもしろくないのかと問われれば、おもしろいんです。