これはなんつーか非常に地味な作品なんです。
2006年にコミックス化されてますが、最近新装版が発売されました。
さて物語はと言うと、貸し布団屋の社長の娘・真樹子の元へ一本の電話が入る所から始まる。
3年前に失踪した婚約者・功一が交通事故で死んだと言うのだ。
連絡してきたのは功一の妹・理沙だった。
なんでも功一の遺品を見て欲しいという話なんだが、娘と結婚したら家業を継いでもらおうと期待してたのに失踪された父親は「行くな行くな!もう関係ない!」つって憤りましてね「失踪の挙句交通事故死かよっ!」と立腹しながらもどこか寂しそうなのは彼の事を気に入ってたんだろなあ。
しかし戸惑う事なく彼女は元婚約者の実家へと出向く。
そこには母親と、結婚して家を出た妹・理沙と、年が離れた弟・雅彦がいたのだが、実はこの家族の父親という人もどういう因縁だか14年前に借金の末に失踪しているのである。
それで長兄の功一は残された家族のために、大学を中退して家に戻り真樹子の会社に入ったのだ。
事故で顔が判別できなかったけど肩のホクロで功一だとわかったと泣きながら話す母親が「私は母親だからなんでも知ってる」みたいな態度に見えてしまって、真樹子は少し面白くない。
自分だって肩のホクロはよく知ってるもんと内心張り合う。
この辺が面白いとこで、表面上は平静を装い積もる思いも口に出さないでいるが、真樹子はこの家族を決して快く思ってないのだ。
功一はあなた達だけの物じゃないわ、って秘かに思っているのよ。
それでもここへ来たのは功一の失踪の理由の一端でも知りたいからに他ならない。
遺品は失踪後に撮られたとみられる数枚の写真と母親宛ての書きかけのハガキと新しいノートで、最初のページには「男帰ろうと思う」とだけ書かれていた。
父親に失踪され残された人の苦悩はわかっているはずなのになぜなんだろ?
なぜに父親と同じ事を仕出かしたんだろ?ともう冒頭から、なぜ?が湧き上がりましてねえ。
いやあ結婚式の寸前に相手に失踪なんてされたら、これはもうかける言葉も見つかりませんな。
ショックだし何がなんだかわからんし世間体は悪いし、慰めてくれる友達が内心笑ってるように感じたり、この3年間真樹子はつらかった。
でも今、彼女が真に知りたいのは失踪の理由だ。
それがわからない限り前へ進めないのだった。
他に好きな女がいたのか?借金があったのか?はたまた結婚が嫌なのに社長の娘だから断れなかったのか?
納得できる理由が見つかりさえすればよいのに、遺品の写真にはなんの心当たりもなかった。
すると「真樹子さんにも何もわからないし無駄足を踏ませてすみません」などと言われ、そそくさと写真を片づけ出した妹にカチンときた真樹子は「無駄ってなによ!わたしだって功一さんの事知りたいのよ!」と怒り心頭に発し、これまでグルグルと渦巻いてた行き場のない思いを「くやしくてしょーがなかった!キー!!」とぶちまけると、その勢いで写真に映っていた丹沢の国民宿舎に行ってみる!と宣言するのだった。
真樹子の剣幕に理沙と雅彦も自分たちも知りたいと言い出す。
そんなわけで、元婚約者の真樹子と家族が遺品の写真をヒントに功一の失踪後の足取りを追っていく話である。
ある日突然人はどのようにして失踪してしまうのだろうか。
職場や学校や家庭や様々なしがらみから逃げ出したいから?
それとも過去を精算し知らない土地で新しい自分になって人生をやり直そうと思うんだろうか。
あたしには自殺の方が身近で失踪する気持ちって今一つわからないんだよね。
その時人はどんな心理でどこに向かうのだろうか。
真樹子は一枚目の写真にあった丹沢を訪れ、功一が国民宿舎で働いていたと知る。
そこで聞いた話の中での功一は、どうものほほんとしていて自分の知っている功一とは違う人みたいな印象を抱く。
それに映画は嫌いだと言って見ようともしなかった功一が、実は大学の映画部で映画を作っていた事を初めて知るのである。
なんだか彼の事を何も知らなかったような気になり、自分は彼にとって心を許せる相手ではなかったのだろうかと真樹子は思い悩む。
次の写真の和歌山の温泉へ向かったのは妹の理沙だった。
理沙にとって功一は父親がわりであり、彼女が結婚する時も父の役目を立派に果たしてくれた。
そんな頼りになる兄の思い出の一方で、彼女の結婚生活は強すぎる姑と何も言えないマザコン夫のせいであまりうまくいってなかった。
婚家で嫌味を言われながらやって来たのに、功一は温泉で働くかたわら長逗留する常連客たちと将棋を指したり肩をもんでくれたと、彼らが語る兄は風来坊で優しくて気のいい青年で彼女が知ってる兄とはちょっと違う。
また3枚目の埼玉に向かった弟の雅彦は兄のおかげで大学まで出してもらったのにフリーターなので、母が自分には口うるさく兄にはやたら気を使うのが鬱陶しかった。
けど無口で真面目なだけだと思ってた兄が、なんか失踪してからの方が幸せだったように思えてしまうというね。
真樹子にも家族にもそれぞれの功一への思いがある。
父親の失踪で心ならずも夢をあきらめ家族を養うために働き妹を嫁に出し弟を大学にやり自身も結婚するはずだった功一。
でもこれは地味な作品でしてね、功一には女もいなかったし借金もなく他人には語れないような重大な秘密があったわけでも事件に巻き込まれたわけでもなかった。
それが逆にリアルに感じられて、失踪した彼の思いが訥々と描かれるのが実に味わい深いんですよ。
大仰さもなく簡素で昭和っぽい雰囲気もよくて、彼の足跡を訪ねて家族と元婚約者は様々な人たちと接触するうちに自分の知らない功一を見つけるのだが、それは生前の彼と向き合う事であり、自分たちの生き方を見つめ直す事でもあるのだ。
んで何よりよかったのは、これまで死者の過去を調べるなんて功一がかわいそうだと頑なだった母親が、実は失踪した父親の居所を知り功一が生前会いに行った事を知るのは彼女だけなのだが、遂に失踪した夫に会いに行く場面。
夫は女性と暮らしていたのだが、女性は体が弱く夫が家事を担っていて変われば変わるもんだねと彼女は驚く。
彼女が夫を許すところは、恨み言を言うにはもう歳月が経ちすぎてしまった事に気づいたのかもしれない。
人生ってままならないもんですなあ。
さまざまな事情で人生の計算を狂わされ、不本意な道を歩む人に、つい同情するのは自然な感情だが、それ以上の憐憫を抱くのは傲慢だ。しあわせ、ふしあわせの収支は、その人の心の中でつけるしかないのだ。
と作者のあとがきにあった。
さすれば苦労したからよくない人生だったわけではなく、結局それは本人にしかわからぬ事なのだ。