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大人の漫画読み

漫画/「ここは今から倫理です。」天瀬シオリ

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(天瀬シオリ「ここは今から倫理です。」既刊6巻)

「倫理」とは何か?

倫理とは人倫の道であり道徳の規範となる原理。

学ばずとも将来、困る事はほぼない学問。

でも自分が一人ぼっちになったり、死が近づいた時には役に立つかもしれない。

 

「ここは今から倫理です。」は高校で倫理を教える高柳先生が、今時の高校生たちのお悩みに独特なスタンスで向かい合う教師物語だ。

自分とは何か?

人はどのように生きてゆくべきか?

そんな普遍的で身近な、しかしとっても深い問題を突きつけてくる。

 

さて新学期、選択教科の中から高柳先生の倫理を選択した3年生たち15人。

なんかしょーもない奴ばっかり(失礼)

こんな生徒を指導しなきゃならない教師っつーのも大変な職業ですわね。

なにしろ彼らは馬鹿で無知で浅はかで(失礼!!)世の中の事など何もわかってないのに、自分は一人前だぜと思っておるのです。

特に性を経験した者の中には、まあ男子がヤリタイ盛りなのは理解できるにしても、女子なんて「先生なんてしょせんは男じゃん」てゆう明らかに男性教師を蔑視しまくりなのがいて、非常にたちが悪いんだよね。

でも高柳先生は倫理で生徒を断罪するわけじゃないのよ。

 

第一話に登場する逢沢いち子という女子生徒はこれがまた問題児でしてね、校内でも所構わず性行為に及ぶわ誰とでもやるわ勉強しないわで、こんな子が教卓の上で大股開きでパンツ見せてきて高柳先生を誘惑しようとするのである。こわいわ~

ところがどっこい先生は表情も変えずに「江戸時代の超高級風俗嬢・花魁になるためには何が必要でしょうか?」とまさかのクイズ出題。無知な逢沢は「顔」だとか「エッチが上手いかどうか」などと答える。

花魁は吉原遊郭で一番位の高い遊女ですんで古典や書道、茶道、和歌、お琴や囲碁など当時のあらゆる教養や芸事を仕込まれていたんである。

顔や色気で勝負するんではなく、教養とどんなに大金を積まれても気に入らない客には抱かれない心意気を持っていたのだと高柳は話して聞かせる。

そのうえで「あなたには教養がない。残念ながらわたしは教養がある女性がタイプです」と冷淡な態度でまったく相手にせず逢沢のプライドは傷つく。

なのにそれ以来彼女の中で何かが変わっていくわけだ。

逢沢は勉強に興味を持ち始め素行も良くなってくる。

だが、自分は安女郎じゃないと考え始めた逢沢がセックスの誘いを断った事から「ただのエロ女のくせに」と怒った男子たちからレイプされそうになり、ああなんて馬鹿だったんだろうって初めて気づくのである。

そこへ高柳先生が現れ助けてくれるのだが、自分を慰め立ち去る後ろ姿に「先生が好き」「先生に似合う教養のある女性になる」と衝動的に叫んじゃう。先生モテますわね。

そんな逢沢に高柳先生はマックス・シェーラー(ドイツの哲学者)の言葉「愛こそ貧しい知識から豊かな知識への架け橋である」という言葉を残すんである。

うーん、クールやなあ。

倫理とゆうのは先人たちが考えたりちゃんとまとめられたものが伝わって来ていて、その考えを知る事で今の我々が道徳として守っていくべき事は何なのかがわかるのである。

まあそんな調子で1話ごとに生徒1人ずつを主人公に、彼らが抱える悩みや高柳先生とのやりとりが描かれる。

現在6巻まで発売されてるのだが、第4巻でそれまでの生徒が卒業して、登場する生徒たちが交代した。

なんか長期連載の予感・・・

実写化もされたしね。

 

まあ新3年生もXジェンダー男子あり、自分は最強に可愛いと思い込んでる性格ブス女子、スマホを紛失したら何をしたらいいかわからくなってしまった男子、過剰ないい子を演じる裏で万引きを繰り返す女子、高校生なのに祖父の介護を担うヤングケアラーの男子などなど悩みも人それぞれ。

大きい悩みから小さい悩みまで、しかし他人からは取るに足らない悩みと見えても本人にとっては深刻なのだ。

そんな中でこりゃヤバイなと思ったのは、何かを殺したいという衝動が抑えきれず殺し合いのような喧嘩を好む暴力的な男子生徒・鳥岡だ。

高柳先生は「なんで人を殺しちゃいけないの?」という話をしたがる鳥岡を学校とは関係ない知己のカウンセラーの所に連れて行く。

彼なんかはかなり重大な凶悪犯罪者になってしまいそうな予兆があったが、このカウンセリングがかなり面白く鳥岡を怒らせながら彼の心を掴んでいく。

ああそっか、彼はなぜ人を殺してはいけないのかを聞きたかったのではなく、人間らしい会話を大人としたかったんだなと気づく。

 

生徒を説教したり理詰めでやり込めるのでなく、倫理というツールを使って生徒自身に考えさせるのがちょっと風変わりな高柳流だ。

そしてそのスタンスは常に生徒の心に寄り添い一緒に悩み考えようとする所にある。

だけど人の心って難しい。

生徒ひとりひとりの傷に気づいてやるのは困難だ。

特に高校生くらいの年頃って未熟だから、うまく他人に伝える術を持たず悩みを抱え込んでいたりする。

先生がせっかく心配しても、生徒は隠すし誤魔化すし踏み込もうとすればデリカシーだとかプライバシーだとか言われてしまう事もある。

相手に受け取る気がなければこちらの声など一切届かない。

どんなに人の心の論理を語っても必要のない人には聞こえないのだ。

高柳先生だって決して聖人君子じゃない。

煙草がやめられないし、生徒の心を救おうとする一方で自分は悩んでいる人間にしか興味が持てないんだと自虐的になったりする。

「ああいう聞く気のない人に諭すのは疲れます」とため息ついたりもする。

何が正しいのかその答えを先生自身も探しているように見えるのである。

だからこそ何事にも謙虚な姿勢で(生徒に対する言葉使いも丁寧)真摯に向かい合うのだろか。

この作者の画風である独特な濃ゆいタッチで影のある暗い目が魅力的だ。

本当は生徒のエピソードよりも高柳先生の過去の方に興味深々だけど、年齢は30代後半でバツイチらしい。結婚は懲りたからもうしたくないと言っておった。

 

作中には古今東西の哲学者や偉人の名言がたくさん出てくるので、今更ながらあたしも勉強してみようかななどと思わせる。

でも時には高柳先生自身の名言も聞きたいもんだな。

なんか屁理屈じゃんと思ったり、肝心な所には言及しなかったりする。

この作品の特徴は問題提起するだけで解決法は示さないのだ。

答えは出さずに曖昧なままで終わったり、納得できないままモヤモヤして次の話に進んでしまう。

すぐ結論が書いてある自己啓発本や人生本とは真逆だなあ。

にもかかわらず説得力のある人生の真実が隠れているように思わせる所が妙味だね。

先が見えない不確実な時代に生きる若者たちは、自分の心のありようやどう生きるべきかという事がなかなか見つけられないでいる。

思うにあたしたち読み手もまた、同様に自分の生き方を探しているからこそ、この作品が読まれるんではないでしょうか。