時は幕末、日本と異国の文化が交錯する長崎の出島にて、廓に生まれた少女「たまを」の儚い物語
がんばってお客をとって早く借金を返してしまおうな
わたくし幕末は大好物でありますが、基本的には歴史上実在した人物の物語を好むのであって、こういうカワイソーな女の子の話はチョット・・・
と、躊躇しつつも、なんとなく購入してしまったので仕方ない読みまして、いやもうね、ホントにしんみりと致しました。
まずざっくりとあらすじをば書いておきますと、1866年(慶応2年)の出島から物語は始まるんです。
出島は長崎に築造された人工の島で独特な扇形をしています。
1636年徳川幕府の命により完成した頃はポルトガル人が居住、1641年にはオランダ商館が置かれ、その後約200年間は日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。
主人公の「たま」こと「たまを」は14才で、長崎にある丸山遊郭の禿(かむろ)でございます。
禿とは遊女見習いの少女の事で、普段は遊女たちの身の回りの世話など奉公人のような仕事をしています。
この日たまはやり手婆のお滝さんと共に、姉女郎の咲ノ介について出島のオランダ商館ハルトマン邸に入りました。
やり手婆とは、遊女の監視や教育や客の品定めなどその道のプロじゃないとできない廓の現場を統括するコワイ人なのです。
丸山遊女というのは出島に出向してたんですな。
遊女が出島に入るには仲宿というセキュリティチェックの場所を通らねばならず、持ち物すべて申告し、着物の中に何か隠していないかも厳格に調べられます。
やっと着いたぜ出島っ!と観光気分になどなるはずもなく、「咲ノ介はとにかく旦那に気にいられるごつ頑張りなもう先がねえんだから」とお滝さんが訓戒し、たまにも「ここでは炊事、洗濯、掃除も仕事だから気を引き締めな」と戦いに当たって身構えさせます。
異国情緒溢れる出島の季節に彩られた日々を、たまはどんな風に暮らしているのかが丁寧な描写で綴られていきます。
オランダ正月と言われるクリスマスの様子や、正月には廓で新年会をした後に店の前で遊女たちの踏み絵が行われます。
踏み絵はキリシタン発見の為にキリストやマリアが描かれた絵や銅板を踏ませるのですが、最もこの時代はもうキリシタンなどはおりませんから、美しく着飾った遊女たちのデモンストレーションのようです。
しかしまだ子供なのにこんなに働かなくちゃならないのか・・・ううーむ
と思うんですが、でもね、もっとキツイ事があるんです。
それはたまは廓生まれで親の顔も知らずに育ち、やがては女郎にならなければならないっつー事です。ちくしょう。もう地獄だな。
なんて悲惨な人生なんだろう。なのに、たまは不思議な少女でちっとも卑屈じゃなく、自分の不幸を嘆くでもなく、おっとりしていつも楽しそうで毎日を一生懸命に暮らしているのです。
だから周りの人たちは、たまは少し頭が弱いのだろうと思っていて、そう思われている事をちょっと悲しく思っているたまです。
お滝さんも咲ノ介姐さんも、なんだかたまが不憫に思えてなりません。
この二人も遊郭で働いている時点で既に不幸な女性なんですが、その二人から見てもカワイソーに見えるというね・・・うっ、なんてハードな話。
とは言え、時代考証などしっかりしてそうで出島の中ってこんな感じだったんだってよくわかり大変興味深く読みました。
幕末の出島には役人や出入りの商人の他に、遊郭から外国人の妾奉公へ出る娼妓や、外国人向けバザールに店を出す日本人もいて、岩次のように出島で働く日本人もいました。
オランダ人に雇用される元奴隷のアフリカ系の人もいて、世界情勢や商売の情報も取り引きされていたのです。
これらの出島で生きる様々な人たちの群像劇にもなっています。
たまを優しく見守る、かつての姉女郎である几帳の馴染み客だったオランダ人医師のトーン先生やオランダ領事館のコックとして働く岩次。
実は岩次はもういないと思われていた隠れキリシタンであり、この時代にまだキリシタン狩りがあったのです。彼は信仰と保身のはざまで多いに煩悶する事になります。
岩次の養子は混血児で百年と言いますが、彼の友達であるヴィクトールは、出島にいる父親に引き取られたものの日本人女郎の継母や異母兄弟に馴染めず孤独です。
ヴィクトールはたまに淡い恋心を抱くようになります。
でもたまは色恋には疎く、いつまでも幼く見えます。
「大人になんかなりとうない」
大人になりたくないと思う子供はいるでしょうけど、たまの場合はあんまりだわ。
しかしながら時は幕末であり、明治へと向かう混沌とした時代であります。
大政奉還や坂本龍馬暗殺ときて、ついに戊辰戦争が勃発し、出島も時代の波に飲み込まれて行きます。
そんな物騒な世の中で、初潮を迎えたたまは丸山に戻り、引き込み新造に格上げされ(これはエリートコースです)同期女郎のりきやと一緒に一人前の遊女になるための教育が始まります。
これがまあ大変なんですわ。
読み書き、歌、お茶、生け花、囲碁、将棋、異人につく者はチェスも習ったり、客の心をつかむような手紙の書き方とか、先輩女郎が枕絵を見せながらのセックスのやり方や、気を遣るのはいけない(いわゆるオーガズムですな)と遊女の心得を教わったりもします。
あんなに無邪気だった季節が嘘のように、芸事や男女の情や大人の世界を急速に知らねばならなくなったたま。
たまに小さい頃から一緒だったりきやが言います。
「二人して頑張ってお客取って早く借金を返してしまおうな。そいで皆より早うお勤めを上がるのえ」
でも廓で生まれたたまにはここを出ても行くあてなどないのです。
そんなたまに、りきやは二人して手習いのお師匠さんを始めようと言い、たまは嬉しくなって賛成します。
こんな世界にも希望はありました。
人の一生は儚く悲しいものです。
それでも、だからこそ人生は美しいのだと思いたくなる、なんかそんな作品です。