「北条家の旧領関東240万石をそっくり差し上げよう。お受けなされい」
天正18年、落ちゆく小田原城を眺めながら、関白・豊臣秀吉は德川家康に告げた。
「・・・・・・・・・・」家康沈黙。
家康は駿府城に戻り家臣たちに相談したが皆口をそろえて「断固拒否すべし!」
猛反対だった。
だって、関東240万石ただでくれるわけじゃない。
現在の所領である、駿河、遠江、三河、甲斐、信濃と交換するのよ。
秀吉は、日本の中心部に位置するこの5か国を支配する家康に脅威を感じ遠くに追いやりたかったんである。
家康は家臣たちの意見にじゅうぶん耳を傾けた上で、ハッキリと言った。
「わしこの国替えに応じるわ」
「殿っっっっっ!!!」
「断るとあとが怖いし、関東という土地はなかなか望みがあるような」
「ありませぬっ!」(断言)
殿、ご乱心!かと誰もが思った。
家康この時49才。
江戸にあったのはボロボロの江戸城と利根川流域の湿地帯だった。
この未開の地に家康が描いた未来予想図。
それを形にした男たちがいた。
っていう出だしなんですけど。
家康が関東へ来て見れば、湿地帯で超ド田舎で江戸城は荒れ寺みたいでして、さしもの家康もチョット後悔しちゃう。
心配でついて来た譜代の家臣団が江戸城は俺が普請するわ!いやそれがしが!つって争い始めるのですが、家康は城なんか後だと言います。
まず必要なのは江戸そのものの地ならしだ!ってな感じで、実はこの物語の家康は脇キャラでしかなく、主役は江戸の街つくりという壮大なプロジェクトを成し遂げた無名の技術者たちなのです。
治水工事、貨幣鋳造、飲料水の確保、江戸城の石積み、天守閣の建設、の5つの側面から江戸の街がどうやって作られたかを描いた短編連作になっております。
さてこの時代、群馬を水源とする利根川はまっすぐ東京湾にそそいでいたそうなのですが、周囲はもう一面の湿地で、海水と混じり、米も実らず畑にもならねえ。
しかも北関東で大雨がふれば大水が押し寄せてくるというね。
そこで、家康から江戸の地ならしを差配せよと仰せつかった伊奈忠次が考えたのが、なんと川が江戸へ入る前に川の流れを千葉の方に曲げちゃおう!なんですのよ。
これが第一話の「流れを変える」でして、信玄堤というのは今も機能していますが、「聖牛」と呼ばれる材木を組んで重しをつけたものをいくつも沈めて流れを制御していくのね。そして忠次の構想では利根川をグイっと東へ曲げて渡良瀬川へ合流させる。
って簡単に言っちゃってるけど、重機もない江戸時代なんですのよ。
しかし昔の治水工事の技術って高かったのです。
現在の利根川の流れは、ほぼこの時代に作られたんだと知りました。
まあその間秀吉が死に家康は関ヶ原の戦いで勝利して名実ともに天下人となり、江戸には膨大な物資や人が投入され街つくりが急ピッチで進みます。
が、忠次これだけやってるのかと思ったらアータ、江戸時代ってハードワークなんですわ。何しろ本業の代官という仕事もあるんです。それをやりながら治水工事もやってるんです。キツイ。工事の方がなかなか思うようには進まず、利根川・渡良瀬川の合流工事の完成まで30年くらいかかったな。
いつの間にか伊奈忠次は亡くなっていて、父から息子その弟とその息子と、三代4人に渡り大事業を成し遂げる人間ドラマになっていました。
いや治水工事が面白かったですわ~
水が流れてくる場面は劇的でしたね。
江戸をゆくゆく大都市にするためには独自の貨幣を持たねばならぬ。
第二話の「金貨を延べる」は家康が貨幣を鋳造する話です。
秀吉の時代、貨幣鋳造の主導権を握っていたのが京の後藤家でした。
小判つくりが興味深かったのですが、作業場がとても暑いんで、金の精連方法を説明された家康は、こんな所で火など使わず佐渡の金山とかで掘り出したらその場でやっちゃえばいいのにって言うのですが、純度が高いと江戸へ運ぶ途中で盗賊に狙われるじゃないですかって言われる。そっかそうだよね。
次は切り分けた金塊を薄く打ち延ばし、贋金つくりを防ぐために職人が表面に細かいさざなみ模様を打ちます。
最後の工程が「大字」と言って、職人ではなく袴をつけた祐筆らしい武士が、にかわをまぜた墨で拾両や後藤の文字と花押を書く。
これが重要な作業で、一枚一枚丁寧に手書きするから、すこぶる時間がかかるそうな。
関ヶ原の翌年、家康はいわゆる慶長小判を発行し、日本の貨幣史は取引のたびに天秤や分銅を使って金銀の重さを量る秤量貨幣から個数を数えるだけで額を共有できる計数貨幣へと変遷していきます。そりゃコッチの方が便利だもんね。みんな使うよ。
貨幣を制する者が天下を制する。
もうね家康の戦略眼とか人材活用術がすごい。
華やかなイメージの信長や秀吉から比べると、家康はよく言われるのが我慢強さだし、人間的魅力にはちと乏しい気がしますが、江戸の街つくりという視点から見れば素晴らしいリーダーなんですよ。
戦場で首を取るのが武士の誉れとか思ってる時代の人なのに、よく勉強していて知識が豊かだし、家臣の話をちゃんと聞きすぐ怒らない。
江戸で貨幣を発行したり、飲料水に適したいい水源を探させ(江戸は井戸を掘ってもいい水が出なかった)それを江戸のすみずみまで配分する上水道を設けたり、その後江戸は世界有数の大都市になりましたから、その基礎を作った家康ってやっぱすげえぜ。
しかもここに登場する人たちは無名ながら、今の時代から見ても驚くような技術や熱意を持っていて、江戸城の石垣の石切り職人の話も面白かったし、江戸時代の技術力の凄さがおおいに楽しめました。
井の頭はなぜ井の頭と言われるようになったのか?など地名の由来や、江戸時代と現代の東京との比較、知ってる地名や場所がたくさん登場して、この時代に東京の原形が出来ているのが興味深い。
それと同時進行で家康と秀吉の争いが描かれているのも一興です。
それにしても、殿から命ぜられた事を忠実にやり遂げようとする封建時代の人のいじらしさって言うか、可憐さって言うか、功名や名誉などという単純な心理を超えて自分の存在そのものを賭けるような悲壮さはどうどすやろか。
それが結果的に「物事をやり抜く力」「成し遂げる力」になっております。ハイ。