akのもろもろの話

大人の漫画読み

本/「街道をゆく 42 三浦半島記」司馬遼太郎 鎌倉殿の13人を見てるといっそう楽しめます

「街道をゆく」は司馬遼太郎による紀行文集。

街道・みち、すなわち交通に着目し、その土地の歴史を独自の視点で語るシリーズの42は、三浦半島の巻。

そこには源頼朝と伊豆、房総、そして三浦半島の武士たちとの出会いがあったんだよねー

(司馬遼太郎「街道をゆく42三浦半島記」)

NHKの「鎌倉殿の13人」おもろい。

そういや司馬遼太郎の「街道をゆく」で、鎌倉時代に触れていたのを思い出し再読。

鎌倉殿のキャストの顔を思い浮かべながら読んだらけっこう楽しめましたよ。(・∀・)イイネ!!

 

さて、この旅のスタート地点は、三浦半島の付け根にあたる横浜・磯子のホテルでして、ご存知のように、房総半島と伊豆半島にはさまれた三浦半島はちっちゃいんですが、この狭い半島ではかつて色んな歴史が巻き起こったらしい。

まず、メモリアルな日本初の武家政権である鎌倉幕府が出現した背景には、この三つの半島が互いに海上交通で結ばれていて政治的に連動したと司馬氏は睨む。

大楠山の山頂から三つの半島の位置を確認し(時に三浦大根を賞味したりね)衣笠山では三浦一族に思いを馳せます。

 

ウーム。そう言えば・・・

「鎌倉殿の13人」で大泉洋演じる頼朝が挙兵した時を思い出してみる。

頼朝を擁した北条氏は伊豆半島に住む小豪族でしたが、B作さん&山本耕史親子の三浦氏も三浦半島の小勢力でありまして、参陣すべく兵を出したけど大雨で思うように動けず、石橋山で平家の大群に敗れた頼朝は逃れる途中で三浦氏の船に出くわし、房総半島を目指したんですよね。

そして房総半島の大いなる勢力が、佐藤浩市さん演じる上総広常だったわけでして、実力者ゆえ傲岸不遜でやな奴かと思ったらブエイ!口が悪いだけでいい人だったやんな。

 

頼朝は彼らの神輿に乗っかることで地盤を築き、鎌倉幕府が出現します。

神輿というのは、担ぐ人がいるから神輿に乗っていられるんであって、北条氏を筆頭に関東の人たちあっての頼朝は気苦労もあるのですが、その点弟の義経は頼朝の気持ちがわからず、俺は源家の連枝であるという顔つきで自分の方が格上みたいに振る舞ってるわけです。

ところで、彼らが頼朝に何を期待したかと言いますと、それは関東武士の調停役として京と対峙する事だった、と言うんです。

平安時代は律令制でしたから公地公民が原則で、農地は農民のものではなく国家のものでしてね、いくら開拓しても自分の私有にはなりまっしぇん。(おかしな話だのお)

せいぜい管理人になることで、法的な持ち主は京の公家なんです。

関東には大小あまたの武士がおりましたが、それぞれ農地の管理権を懸命に守り、それが一所懸命という言葉の由来だそうですが、いつ公家から管理権を取り上げられてしまうかわからんので常に京に対してビクビク。

土地を巡る争いが起こっても、官位もなく無骨な坂東武者が京に訴えたりできんですわ。

そこで「武家の棟梁」の仕事の一つが、武士たちのために公家に対して口利きする事だって言うんですから、えらいこってすわ。

アイヤー、知らんかった。棟梁そんなことすんの?

言われてみれば、大泉さんが赤髪の人のごとく「そろそろ奪りにいこうか」と平家討伐の兵を出せーと言ったって、皆さん「源氏の敵討ちとか平家滅ぼすとか俺達には関係ねえ」つって塩対応だったもんね。なんか坂東武者思ってたのよりずっと現実主義者だって思ったよね。土地が一番大切なのれす。

 

頼朝の父親である源義朝も、源氏の棟梁ですから同じことをしてきたのです。

義朝と言いますと、あたくし昔見た大河ドラマの「平清盛」を思い出します。

玉木宏さんが演じた義朝様がすごくかっこよくて忘れられません。

義朝とライバルの清盛が若い頃、まだ武士は公家の犬などと言われ蔑まれる存在だったのですが、そこから武士が勃興してゆく前半が低視聴率と言われていたにもかかわらずチョー面白くて、両者の戦いは清盛の勝ちで平家全盛の世を招きました。義朝いとあはれ。

でも平家は公家化しちゃったから、武家でありながら律令制を否定せず。

頼朝の政権が優れていたのは、律令制の土地制度の不条理なものから、土地の所有を確かなものにしたことでして、そこはやっぱ源氏の血筋と京育ちというコネクションがものを言ったんでしょうな。世の中は公家の時代から武士の時代へと移り変わっていったのです。

 

ってなわけで、若宮大路、鶴ケ丘八幡宮、極楽寺坂、朝比奈切通しなど、頼朝や義経、新田義貞らの足跡をたどる司馬氏。

そうだ

鎌倉行こう

って気分になってしまう。

 

三方を海に囲まれ守るに堅い鎌倉を拠点として、今の横須賀のへんを交易の中心としたり、地形をうまく利用していたんだねえ。

ただちょっとね、司馬先生の話があちこち飛ぶのが気になりました。

話がちょっとね、行ったり来たりするわけ。

あと、頼朝を始めとして北条代々の執権や鎌倉殿にも登場する歴史上の人物を、司馬先生がアレやコレや語りますが、悲しいかなそんなに目新しいことは言っとらんです。

 

三浦半島を下りまして、幕末に横須賀に造船所を作った小栗上野介の話が出てきますが、徳川幕府でも徹底抗戦派だったこの人物が、幕府のために作った造船所が、「たとえ幕府がつぶれてもこれからの日本の役に立つ」と語っていたという、清々しい逸話が良かったデス。

佐幕に凝り固まってるのかと思えば、日本の遥か未来を見ていたんだなあ(遠い目)

 

横須賀は軍港として整備され、日露戦争、太平洋戦争での旧海軍について司馬氏は考察します。

しかしながら、旧海軍が「海軍士官はスマートであれ」という教育方針の通りだったという、なんか海軍賛美?はどうなんだろか。

司馬氏は陸軍出身でそれが最悪体験だったらしく、軍隊の思い出話を書く時はボロカスに言いよるのに、海軍は陸軍に比べるとほんまにスマートでしたで~とやたら書いてるのには違和感です。

ま、連合艦隊旗艦「三笠」の話はよかったですが。

 

ラスト、再び話が戻りまして、鎌倉幕府滅亡です。

頼朝の鎌倉入りから北条高時の滅亡まで、幕府は150年の生涯だったのですが、どうも高時は阿呆みたいな書き方でちょっとひどすぎん?

新田義貞による鎌倉攻めで奮戦し高時に従い切腹した者は870人とか。

いかに鎌倉武士が死に対して潔かったとはいえ、人望がなければこれだけの人間が追って死なんのではないでしょうか。

 

さてさて、伊豆半島と房総半島にはさまれた小さき三浦半島に、様々なドラマがあったものですな。

ちょっと話が行ったり来たりするのが気になりましたが、やっぱ爽快。

それに反して鎌倉殿のドラマの方は近年まれにみる鬱展開どすなあ。