「野火」は、1959年に市川崑監督により映画化された大岡昇平の同名小説が、
2014年に塚本晋也監督、脚本、製作、主演により再び映画化されました
こういう時期ですから戦争映画を観てみましたよ。
何か食いながら読まないでくださいね。
舞台は第二次世界大戦も末期のフィリピン戦線でのレイテ島でして、主人公の田村は結核のために所属部隊から野戦病院へ追いやられます。(食料にイモを5本ほどもらう)
ところが病院に行くと「肺病くらいで来るな」と入院を拒否られ、仕方なく部隊に戻ると「貴様なんで戻ってきたんだ」と怒鳴られる。
どこも食料不足でして、病人の田村は役に立たないってんで、体のいい厄介払いなわけです。
もう一度病院に行き入院できなかったら持ってる手榴弾で死ぬんだ、と分隊長から命じられる有り様です。
「田村一等兵、病院で断られたら自決いたします」
病院つっても我々が想像するような病院ではないよ。
木と竹で作った粗末な小屋で、血まみれの人たちが足の踏み場もないほどぎゅうぎゅう詰めで呻いてるんですわ。
仕方なく田村は、病院の周りにたむろっている数人の兵隊たちと合流します。
その中に安田という片足を負傷した男と永松という若い男がいるんですが、永松は満足に歩けない安田の面倒を見てやってるのに、安田からこき使われて「タバコの葉をイモと交換してこい」と命令されたり、できないとどやしつけられて泣いてるのです。(どんな関係なん?)
二人は親子ほどの年齢差で、安田はずるがしこく油断のならない感じなんですが、一人でいるのは寂しいから一緒にいるんだと永松は言うんですよ。
その病院が米軍の砲撃を受け、田村は命からがら逃げ出します。
どこにも行き場のない田村は単独でジャングルを彷徨いまして、教会のある村を見つけると思い切って入ってみるのですが、もぬけの殻でした。
日本兵の敵は米国だけではなく、フィリピン人たちからも敵視されているのです。
そこに偶然やって来ちゃった若いアベック。
銃を持った日本兵を見るなり発狂した女が叫び出し、恐怖心から田村は射殺してしまいます。
でも女の死体の側で、床下に隠してあった塩を見つけました。
去り際に田村は銃を川に捨てる・・・
田村は三人の日本兵に気づき駆け寄りますと、自分の隊が全滅した事と日本兵はパランポンに集結せよという命令が出ている事を知らされます。
持ってる塩を分けてくれるなら同行してもいいと言われる。一緒に行くぜよ。
「俺たちはニューギニアじゃ人肉を食ったんだぜ」と自慢気に笑う伍長は、田村のために銃を調達してきてくれ、どこか頼りになる感じがしました。
しかしながらパランポンに向かうためには、どうしても越えねばならない見晴らしのいい丘がありまして、ここが激ヤバなんですわ。待ち伏せてた米軍の一斉射撃を受けた日本兵たちは殺されまくります。
なんとか死なずにすんだ田村は伍長を見つけますが、もう瀕死の重傷で「俺が死んだらここを食ってもいいぞ」と言われる。⇒腹の肉
そんなことできるかーと思いながらも視線が肉にロックオンしてしまう田村。
その時!伍長の腹が裂け噴水のようにウジ汁が!!ぶしゃああー!!!
意識を失い倒れてしまった田村を、永松が介抱してくれ水を飲ましてくれます。優しい。
そうして「これはサルの肉だ」とビーフジャーキーみたいな干し肉を口に入れてくれる。
なぜか他人に親切な永松。やっぱ安田とつるんでて、相変わらず安田から怒られては子供のようにオイオイ泣いてる。
永松はサルを狩りに行く時に手榴弾を安田に取られるなと忠告しますが、田村は安田にうまい事言われて取り上げられてしまう。
その時永松の銃声が聞こえたので、田村が行ってみると、なんと!人が逃げて行くじゃあーりませんかっ!
サルの肉とは人肉だった
安田は田村に向かって手榴弾を投げて来まして、田村は逃げながら肩を負傷し飛び散った自分の肉片を迷わず口に入れます。
永松は安田を殺さなければ自分が食われると思い、安田と対決する決意をし、クライマックスは同胞である三人の兵士の壮絶な戦いなのです。(と言っても田村は傍観してるだけですが)
その結果、勝ったのは永松で、安田をナイフでメッタ刺しにして食う。
田村卒倒デアリマス( ̄□||||!!
この映画はグロ表現が高めなので観る時はご注意ですよ。
でもこれって、娯楽作品ではないですよねー!?
米軍の激しい攻撃を受けた日本兵たちの、顔が吹っ飛ばされ手足が千切れ転がる腕を自分の物だと思い奪い合う場面だとか、死んだ兵士の脳みそを踏みつけて逃げる場面だとか、暑い土地なので死体にはウジ虫がすぐわきますし、実際の戦場はきっとこうなんだろうとは思いましたが、ホントに嫌な物を見たって感じがしました。
なんかもうね、戦争映画には思えなくなって来る。
もうね、ゾンビ映画にしか見えないわけ。
このテーマは飢餓であり、極限状態になった人間はどうするか?って話です。
日本陸軍の戦略はお寒い限りで、レイテ島では作戦のまずさから大半が戦死し、死者の多くは餓死者だったといいます。
現地には武器も食べ物もなく、米軍を前にして兵士たちが戦わねばならないのは、食料不足による飢えでした。
食料は現地調達とかふざけてますよね。
極度の飢餓からもう軍の統制とか崩壊しちゃってるし、各々が食うものを求めて彷徨ううちにイモを巡って殺し合ったり、ついにはカニバリズムに至るわけです。
ただねー、タイトルの「野火」がなんであるのかの描写が足りないと思いました。
野火とは、農民が枯草などを焼いていて、遠くにいても煙が上がってるのが見えるんですが、それを焼いてるのはフィリピン人でして、ゲリラかもしれませんから近ずくのは危険なわけです。
それでもジャングルを孤独に彷徨う田村にとっては、そこに人間がいると思えば、飢えと人恋しさから引き寄せられてしまうのです。
市川崑監督の「野火」ではそこがちゃんと描かれていたと思うんですが、本作での田村は傍観者にしかすぎない気がしました。
それに今の日本とあまりに違い過ぎていて、そりゃ誰だってこんな狂気の沙汰よりも楽しい物を見たいじゃないですか。
あたしだってこんな地獄よりも「ONE PIECE フィルム レッド」の感想のが書きたかったけど、なんか目先の楽しみばかり追求してると平和ボケだと蔑視されちゃうと思って・・・
日本は右傾化していると言われますが、戦争を知るにはもう映画を観るしかないのではと思っております。
戦争映画を観ましょうや。
リリー・フランキーしかわからんかった。