神々の山嶺(かみがみのいただき)は、夢枕獏による原作小説を谷口ジローが漫画化。
2021年、谷口ジロー好きなフランスでアニメ化されて、今年日本公開されたざんす。
わざわざ説明するまでもありませぬが、エヴェレストは世界最高峰の山であります。
この山が初登頂されたのは1953年でして、ニュージーランド人のヒラリーとネパール人シェルパのテンジンによってです。
しかしこれよりおよそ29年前の1924年に、エヴェレストの頂上は二人の人間によって踏まれていた可能性があるのです。
それがマロリーとアーヴィンでしてね、この二人はエヴェレスト山頂を目指したのですが、頂上付近で行方不明になってしまったんですな。
きっと何かの事故でしょうが、問題はその事故がエヴェレストの頂上を踏む前だったのか?踏んだ後だったのか?という事です。
マロリーとアーヴィンがもし頂上を踏んでから事故にあったんだとすれば、エヴェレストの初登頂者はヒラリーとテンジンではなくなるからです。
それを知る方法が実はあるのです。
二人はカメラを持って頂上に向かいましたので、もし頂上を踏んでいれば必ずそのカメラで写真を撮ってるはずですわ。
そしてそのカメラのフィルム(乾板)は、マイナス20度からマイナス40度という温度で保存されているため現像が可能なのです。
このマロリーのカメラが、ある時ネパールのカトマンズの古物商に並んでいるのを、主人公が偶然発見します。
というのが、この物語のプロローグなのですが、夢枕獏の原作がとっても面白いんですよね。
2016年には実写映画化もされまして、深町に岡田准一、羽生丈二が阿部寛という布陣でしたが、・・・これはちょっとトホホな出来栄えでした。わしが原作好きすぎだからかのお?
で、2000年に連載されたこの漫画版では作画が谷口ジローです。
谷口ジローは残念ながら2017年に亡くなってしまったのですが、本当に絵が上手いです。
とにかく山が素晴らしいの。
標高8000メートルを超える場所というのは、雪と氷に閉ざされた世界で人は生きられない、まさに神の領域です。
谷口ジローの精緻な山の描写は恐ろしいほどに荘厳で美しく、それは時に人格を持っているかのように単なる山を越えた特別な存在にも見えてきます。
もうひとコマひとコマが「おおっ!」とか「う―むっ!」とか、思わず声が出ちゃう。
さて、マロリーの謎のカメラじゃね?と思われる古いカメラを、深町誠(40才)はカトマンズで見つけ購入するのですが、治安が悪いのでホテルで盗まれてしまうんです。
深町はエヴェレスト遠征に参加するためやって来た登山家でカメラマンなのですが、遠征は二人の犠牲者を出し失敗に終わっていました。
人生に迷える男・深町は、日本に戻る気にもなれず「自分は別に逃げてるわけじゃない」とか言い訳しながらこの町に滞在しています。
そしてカメラの行方を追ううちに、ピカール・サン(毒蛇という意味)という男の家から盗まれた盗品だった事が判明します。
ところが深町の前に現れたピカール・サンてのが、かつて天才クライマーと呼ばれ、数々の登攀記録を作りながら登山界から姿を消した羽生丈二だったもんだから、あっと驚くんだよね。
日本に帰国した深町は羽生について色々と調べるのですが、過去の評判は最悪でしてね、岩壁登攀の才能は天才的だったのに、どうも人間関係がうまくやれない人だったんです。
海外遠征に必要な資金(個人負担が百万円)が用意できず遠征に参加できないことがあった時も、技術もないのに金のある奴は行けて実力がある俺が行けないのかって悔やしくて荒れたりね。
やっぱ無名じゃ駄目なんだ!有名になればスポンサーがついて金も出る・・・と考えて、冬季の「谷川岳一ノ倉沢の鬼スラ」を始め数々の難所を攻略して名を挙げようとしたりね。
(「鬼スラ」というのは、谷川岳にある自殺行為だっつーくらいの難所中の難所らしいです)
けどそんな危険な場所を命がけで登っても、羽生の個人的なスポンサーは現れなかったのです。
普段の生活振りというのも、山に入れ込み過ぎるから仕事はどれも長続きしないし、住まいも必要最低限の部屋しか借りず、生活は荒んでいました。
彼の居場所は世間で言うまともな暮らしの中にはなく、しかも自分と同じ事を時に仲間にも激しく強要するため、羽生は孤立していきました。
特に後輩の岸が事故で亡くなってからは、もう単独で登攀するようになったのです。
岸は羽生を慕った数少ない人物で、珍しく良い関係になれたのですが、初めてザイル・パートナーとなったクライミング中に墜落死してしまいます。
そんな中グランドジョラス冬季単独登攀中に滑落し、怪我をしながらも強靭な精神力で生還した羽生は、41才の時に念願の冬季エヴェレスト遠征メンバーとして参加します。
ところが第一次アタック隊に選ばれなかったことが、どうしてもどうしても承服できず下山してしまい、そのまま消息を絶ったのです。
深町も40才ですよって、年齢的に登山家としての限界を感じつつありました。
東京では恋人とも破局してしまい人生の岐路に立ってるわけですが、まだ心の底に燻る山への思いがあり懊悩しているのです。
そんな思いが、言うなればスーパー自分勝手な羽生の激しい生き様への憧れとなり、深町は再びネパールへ渡ります。
羽生は消息不明となったこの10年近い間、ネパールの地にいたのです。
もう50近い年齢です。
しかし深町は「羽生は何かしようとしている」とにらんでいました。
それが「エヴェレスト南西壁冬季無酸素単独登頂」であると知った時、いやもう心臓バクバクの衝撃でした。
エヴェレストは中国とネパールの間に位置していますが、最も山頂にたどり着ける可能性が高いのはノーマルルートと呼ばれるネパール側からの登り方です。
一番難しいと言われるのが、南西壁ルートと呼ばれるエヴェレストの南西側にある壁を登るルートで、南西壁はその名の通り岩の壁です。
登る人がいないからルートもできてないし、落石・雪崩が起きやすい。
現代のエヴェレスト登頂はシェルパの力が大変大きく、彼らが荷物を運びあげてくれてルートも作ってくれるのです。
それを冬季に誰の助けも借りず、酸素が地上の三分の一しかない場所で酸素ボンベを使わない無酸素で挑むというね。
読んでて一番苛酷だと思ったのがこの無酸素でしたね。
酸素が少ないと人間の脳は働かなくなり動きも緩慢になります。
自分では歩いてるつもりなのに気がつくと何時間も座りこんでたり、幻聴や幻覚に苦しめられたりするんです。
もうね、なんでこんな事するん?
この作品が一貫して問いかけるのは、人はなぜ山に登るのか?という事です。
「そこに山があるからさ」という有名なセリフは前述のマロリーの言葉なんですが、しかしもっと誰もが納得できるような、そんな明確な答えってないんです。
それは山に登る人にしかわからないことなのでしょうが、ただこの作品を読んでわかることもあります。
一つの山を制したら次の山また次の山と目指さずにいられない。まだ誰も行ったことのない危険なルートをわざわざ選んで行きたがる。そういう精神を持つ人はいるのです。
神々の領域である神秘的なエヴェレストに羽生丈二が挑むシーンは、なにかホントすげえものを見たって気分になれますぞ。
余談ですが、1999年、実に消息を絶って75年後にエヴェレスト山頂付近の北壁でマロリーの遺体が発見されております。
でも遺体と共に残っていた持ち物の中にカメラは発見されませんでした。
マロリーがエヴェレストに登頂したかは今でも不明なのです。
興味があったら調べてみてくださいな。