akのもろもろの話

大人の漫画読み

映画/「カストラート」

古い話で恐縮ですが、ポスト24年組のひとりたらさわみちには「バイエルンの天使」という代表シリーズがありますが、竹宮恵子がウイーン少年合唱団の大ファンだったのは有名な話ですから彼女のアシスタントをしていたたらさわが少年合唱団の漫画を描いたのは既定路線でありましょうか。

ところで2023年のウイーン・フィルのニューイヤーコンサートをテレビで見ていたら「ウイーン少女合唱団」が出演していまして、無知で知らなかったのですが「ウイーン少女合唱団」は2004年に結成されていて保守的なイメージのウイーンでも少女の合唱団が誕生していたかと思うと時代の変化に対応してるんだなと思いました(・∀・)イイネ!!

まあそれは置いといて少年合唱団の話に戻りますが、天使の歌声とも称されるボーイソプラノの独特の音色は歴史をさかのぼると宮廷礼拝堂が根源であり女性が歌う事を許されなかった教会でアルトやソプラノ声部に少年が重用されたわけです。

ボーイソプラノは変声期を迎える前のソプラノの音域に恵まれた少年歌手だけが歌えるものでその美しい高音で歌えるのは言わずもがな声変わりまでの短い期間ですが、なればこそ美しきボーイソプラノを失わずにすむ方法はないものかなどと考える者がいたとて不思議ではありません。

たらさわみちが1985年に発表した「オクタビヴィアン幻想曲(ファンタジー)」は修道院きっての歌い手である14才(昔の人は変声期がくるのが今よりもずっと遅かったのです)のオクタヴィアンが重大な決断を迫られてしまいます。

ズラーッと居並ぶ大人たちからきみの音楽の才能と神に選ばれし美声を修道院のためにカストラートとなってずっと残してほしいと望まれてしまうのです。

カストラートとは去勢された男性歌手の事でありまして、変声期前の少年を去勢することによりボーイソプラノを持続させる一方、体は大人へと成長しますから骨格や肺活量は成人男性並みになります。

彼らは幅広い声域と歌声の持続力を持ち、長いブレスと華やかなテクニックが売り物でその実力で教会音楽からオペラへと活躍の場を広げていったのです。

まったく去勢とは恐ろしいことを考えたものですが、ただ去勢すれば誰でもいいわけではなく元々の音楽的才能やきちんとした声楽のレッスンを受けた少年でないといいカストラートにはなれません。

さてカストラートがどんな存在だったかは1994年制作のジェラール・コルビオ監督のイタリア・ベルギー・フランス合作映画「カストラート」を観ればよくわかります。

これは18世紀イタリアに実在した最も有名なカストラート歌手ファリネッリ(ファリネッリは称号)カルロ・ブロスキの生涯を描いた伝記映画で、ファリネッリの音域は3オクターブ半あったと言われ彼の歌声を聴いたご婦人方はあたかも60年代日本を席巻したGSの伝説バンドオックスの失神ステージのごとくバタバタと失神してしまうのです。

ファリネッリの歌声は俳優が口パクしたのに声を当てているのですが現在では存在しないカストラートの声は高音域は女性のソプラノ歌手、低音域は男声のカウンターテナーの音声をコンピューターで合成して作られています。

これはなかなかよくできていて男の声で超高音域が歌われる神がかった舞台が見ものです。

オペラに興味がなくとも舞台衣装の華やかさやファリネッリの美声に驚愕し魅了される観客の様子を見てるだけで楽しく、当時のイタリアンオペラの隆盛振りを知ることができます。

1734年にファリネッリは恩師のニコラ・ポルポラから乞われイタリアからロンドンに渡りますが、ロンドンでは大人気のファリネッリが来たとウェルカムの大盤振る舞いです。

ファリネッリはその妖しくも官能的な歌声だけでなく美貌の青年ですから、妊娠の心配のない遊び相手にと好色な上流マダムも少なからずもうモテモテでございます。(カストラートの去勢は玉抜きなので女性とも交われるのです)

しかしロンドンで彼を待っていたのはバロック音楽の大家ヘンデル率いる「王室音楽アカデミー」とポルポラ先生のいる「貴族オペラ」の対立で、その状況は繊細なファリネッリにはどうにも耐えかねるのです。

またずっと一緒だった兄との葛藤も描かれ今までは兄の作った曲しか歌わなかったけれど自分の超高音域や超絶技巧をひけらかすだけの駄作曲しか作れない兄よりもヘンデルの曲が歌いたいと思うようになります。

落馬事故のせいで偶然カストラートになってしまったと思わされていただけで実は兄によって去勢されていた事実を知ってしまい、愚兄と賢弟はよくある兄弟の組み合わせとは申せ駄目なブラザーに利用されているとしか見えず哀れなのであります。

驚異の歌声で一世を風靡したファリネッリは舞台では神のごとく人間がここまで神々しく歌えるものかとハイドンでさえ失神寸前だったのに。

そうしてこの映画も前述のオクタヴィアンの物語も同じ場所に帰結して、オクタヴィアンは人を愛したいからという理由でカストラートになることを拒み、ファリネッリは愛する女と子を得て人並みの幸せというやつを手に入れるのです。(この子供がどうやって出来たかはバラしませんが)声は楽器などと言うがやはり人間なのです。

しかしながら時代の流れと共に消えていったカストラートの歌を聴いてみたいものです。