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大人の漫画読み

漫画/「列士満(レジマン)」松本次郎 感想

よくぞここまで戦ったものです。

幕末の動乱期に生まれた幕府歩兵隊はまさに最新の銃で武装した洋式軍隊でしたが、水戸の天狗党やら長州の奇兵隊やらと戦うもまあろくな戦果も挙げぬうちに幕府が瓦解してしまいます。

もはや総大将の徳川慶喜公も上野のお山で恭順してると言うんですから、ならば彼らは誰の軍隊なのか。その答えは誰にもわからぬまま幕府歩兵隊は一人歩きを始め関東、東北、北海道を転戦しついに箱館にて降伏するまで官軍相手に戦い抜くことになるのです。

(松本次郎「列士満」)

鳥羽伏見の惨敗後、新選組の鬼の副長土方歳三が「これからは銃でないとだめだ」としみじみ語ったというのは有名な話ですが、武士の憧れ剣や槍の華やかな一騎打ちなどもう誰もやりません。

世は銃兵の時代なのでして戦争の在り方そのものが大きく変わり薩摩も長州も藩存亡の危機感が近代歩兵を作らせました。

しかし幕府の改革は思うようには進まず徒歩で小銃を持つ歩兵などに旗本がなりたがるはずなく人材に困り部隊の構成員は知行地から徴収された農民や江戸で雇われたやくざ者でした。

おい歩兵隊の連中が出やがったぜ!どうだいあのでけえツラはよ!と影でボロカスに言われてたのはひどいゴロツキ集団で町に出てはトラブルを起こすからで、筒ズボンに筒袖の上着という揃いの洋装はいかにも異様で「茶袋」などとあだ名され忌み嫌われました。

日頃見下されているだけに酒が入れば威張り始めるし脇差を持たされたものだから調子に乗って振り回したくなるしもう迷惑この上ない。

そのうえ戦でもステゴロでも仲間は相見互いと集団で駆けつけて来るから余計にたちが悪いのです。

この物語の主人公スエキチも背中に彫ったくりからもんもんから博徒とか無宿者とかいった類の男で相棒のダイスケは百姓です。

無愛想で言葉の足らぬスエキチを愛想がよくて話のうまいダイスケがよく助け、器用なダイスケがミニエー銃の装填をやり狙いが正確なスエキチが撃つ方に専念するという協力関係です。

ミニエー銃と言えば幕府歩兵隊に配備されていたのはエンフィールド1853というイギリス製小銃でして、ライフル弾を使用するエンフィールドは射程距離・命中精度においても格段な優れ物でした。

しかしながら銃弾の装填方法は従来通りの先込め式でこれはやはり手間と時間がかかるのです(熟練すればもっと早く撃つことも可能ですが)

タマ込めの最中に斬りかかられたらひとたまりもありませんから焦る焦る。

それはそうとしても長州征伐での井伊家のみじめな潰走ほど滅びゆく幕府を象徴するものはなく、德川親衛軍のいわゆる赤備えの伝統の軍装も時代遅れの遺物でしかなく新式装備の長州に大敗を喫しました。

直参旗本たちの間には洋式軍隊に対する拒絶反応が強く武士たる者が鉄砲など持てるかと本気で思ってたというんですからあきれます。諸々の事情はありましょうがこの作品を読むと幕府滅亡が加速度的に進んだ理由がわかる気がします。

思うに当初幕府歩兵隊が弱かったのは隊員の練度不足や現場のいい指揮官がいなかったからでしてそれでも彼らは各戦線を渡り歩き実戦を積むうちにひとかどの軍隊へと成長していくわけです。

大政奉還後には幕府陸軍に所属する歩兵隊各隊は次々に脱走しました。スエキチの隊も金払え、飯食わせろ、女を抱かせろ、特に行くところがないなどの理由で脱走他隊と合流し衝鋒隊(しょうほうたい)と称し転戦。

やがては箱館で第四列士満に編成されるのですが(レジマンはフランス語で連隊の意)正規の武士でもない彼らは食うために戦い続けた結果すっかり戦場なれした傭兵となったのです。

この時代には珍しい主君や忠義とは無縁の実に面白い集団でした。

スエキチは戦績が優秀で小頭にまで出世しダイスケたちと散兵戦を旨とする別働隊として活躍しておりその成長ぶりは爽快です。
物語の冒頭では「俺は元々一人で生きてきたんだ!誰も頼りになんかしねえ!」と根拠のわからぬ自信と独りよがりな性格を露呈させていましたが、弾雨にさらされ長い戦場生活のうちにはダイスケに家族愛に似た気持ちを持つようになりました。

自分が初めて殺めた人間のことを訥々と話したり、新政府軍の艦砲射撃で行方知れずになったダイスケの消息を最後まで探そうとします。

まるで流れ星のように歴史の過渡期に現れ消えて行った幕府歩兵隊の無名の男たちでした。

箱館が陥落し主だった者たちが投降した後、下っ端の歩兵たちの扱いは粗略なもので2円渡され国へ帰れと命令されたのです。

彼らがその後どうなったか消息は知られていません。