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大人の漫画読み

義満と世阿弥/BL日記③

京都駅からバスで10分弱の「今熊野」バス停で下車したら、南の方角に森のように見える一画が平安時代末期に後白河法皇によって創建された新熊野神社です。

永和元年(1375)この場所で劇的な出来事がありました。

時の将軍足利義満と観阿弥・世阿弥父子の出会いです。

足利義満と言えば、言わずと知れた室町幕府第3代将軍でして、室町幕府歴代将軍の中でも一番お馴染みな方じゃないですか。

源氏の名門に生まれた義満はわずか11才で征夷大将軍になり、南北朝合一を果たし足利政権を確立したやり手です。

また世界遺産の金閣寺を建立するなど北山文化を開花させ、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築きました。

この義満が愛した美少年が後の世阿弥なんです。

世阿弥は父の観阿弥と共に猿楽から能を洗練された芸術へと確立した人物だと教科書にものっています。

観阿弥はそれまで田舎芸能にすぎなかった猿楽の革新者でした。

幼名を鬼夜叉と言った世阿弥は観阿弥率いる大和猿楽の結城座が興福寺の庇護を受けていたため寺の稚児として養育されました。

当時の仏教寺院の稚児というのは僧の男色行為の対象でもあるのですが、とにもかくにも類稀なる美少年でしかも聡明でした。

二条良基は和歌、連歌、蹴鞠といった当時の宮廷文化に精通した有力公家です。

将軍義満よりも先に世阿弥に目をつけていた二条良基は「藤若」という雅びな名を与えたり連歌を教えたと言われています。

でもね、いくら美しくても卑賎の芸能者ですから売色せねばならんとは哀れなこってす。

とは言え、猿楽者は教養などないのが当たり前のご時世に、世阿弥に貴族的な教養を身に着けさせたのは野心家の観阿弥でしょう。

美貌の息子に期待してたんだね。

やがて一座は京へ進出し醍醐寺の7日間興行でその名を轟かせます。

いよいよ観阿弥の大和猿楽が時代の花形として踊り出る日が来たのです。

応安7年(1374)「この一座がすごい!」という噂を聞いた義満が新熊野神社で行われた興行を観に来ました。

その時の様子を1988年発売の木原敏江の漫画・夢の碑シリーズ番外編「夢幻花伝」から見てみませう。

余談ですが、「夢幻花伝」は世阿弥を主人公にした漫画なのですが、探したらkindleにないんですよね。

この作品だけkindle化してないのかなとも思いましたが、ありましたわ。

「大江山花伝」の中に収録されてました。

義満は舞台をジッと観てるようで世阿弥に釘付けなんでしょうね。

まだ年若い世阿弥は芸も良いが匂い立つような美少年でした。

義満は諸芸術に理解深く風雅の道の達人と謳われた貴公子であり、芸術家を庇護するのもセレブの役目と考えていました(たぶん)

その美貌と芸に魅了された義満は観阿弥・世阿弥父子の庇護者となり、世阿弥は義満の愛人になったのです。

義満は18才、世阿弥は12才。

将軍がこんな卑しい身分の少年を熱愛!と世間をビックリさせました。

しかしもう、あまりにも眩し過ぎるカップルですわ。

義満の寵愛は相当なもので、祇園祭りを見物する桟敷席にも世阿弥を侍らせました。

まあ「将軍素敵!抱いて欲しい!」と多くの人が思ってるんだから、この華麗なるカップルを悪く言う人だって出てきますよ。

三条公忠が書いた「後愚昧記」という日記には「大和猿楽の児童去る頃より大樹之を寵愛す。同席伝器かくの如し。猿楽の者は乞食の所行なり」とあります。

義満は祇園祭りの桟敷席に世阿弥を伴い、人目もはばからず同じ器で酒を飲みながら祭りを鑑賞したのです。

桟敷席は特権階級だけが座るVIP席だったので、世阿弥を同席させていると公忠は眉をひそめました。

猿楽師みたいな乞食を寵愛するとは世の中がおかしくなっとるんや

世阿弥に取り入って義満の機嫌を取ろうと大名たちは競って世阿弥を称賛し金品を送ってるんやで

と、日記は続きます。

ただ義満が世阿弥を寵愛していたのはよくわかるのですが、麗しいボーイズラブと言うよりも世阿弥にどこか悲壮な感じを持つのは私だけかしら。

室町時代には様々な芸能が勃興し、なかでも田楽や猿楽の一座は寺社の祭礼を求め旅から旅へ興行しました。

観阿弥の一座もやれ乞食だと蔑まれながら各地を巡業し苦労してきたのですが、息子が将軍の寵愛を受けることは出世のためにはもうチャンスなわけです。

どんな天才でも芸術家は権力者の庇護が必要ですから。

世阿弥は父親から大変なミッションを与えられて御所に赴いてるんですよ。

このように世阿弥の人生は波乱万丈で、80才まで生きましたから長いです。

だけど人生の最高潮は義満に熱愛された12才から18才頃のめくるめく日々だったように思えます。

至徳元年(1384)に観阿弥が亡くなり世阿弥は22才で観世大夫を継ぎますが、この頃には義満の推しは近江猿楽を率いる犬王道阿弥だったといいます。

彼らはライバルなんですが互いにリスペクトしていて、犬王は観阿弥を尊敬していたし世阿弥は犬王の幽玄能を学びました。

アニメ化されて初めて犬王という人物を知りましたが、犬王が現代では忘れられてしまったのは書き残したものがないからです。

世阿弥は有名な風姿花伝を始めとして多くの書を残しました。

それも長く生きたからこそ出来た仕事だと思うのです。

人々の心をとらえ自分の芸を磨き幽玄の境地に達することにすべてをかけた世阿弥ですが、パトロンだった義満の死後、次の将軍義持は世阿弥を阻害するようになり義教の時代になると露骨に迫害されるようになります。

息子を失くし71才で佐渡に流されました。

それにしてもいかなる罪だったのか、諸説はありますが謎のままです。

修羅と闇を抱えた人に思えてきました。