4月に①巻が刊行されてて感想を書くつもりだったのに失念しておりました
「センゴク」の宮下英樹の新作。
これは「センゴク」外伝とかではなく、新たな物語としての「関ヶ原の戦い」を描くつもりらしいです。
とはいえ、キャラは全く「センゴク」でございますがな。
「関ヶ原の戦い」は、1600年徳川家康を中心とした東軍と石田三成を中心とした西軍が美濃の国(現在の岐阜県)関ヶ原で行った戦いで、家康が勝ちを収め江戸幕府を成立させた云々は誰でも知っています。
天下分け目の戦いと言われてるのに実際は半日でけりがついたのは、家康が老獪な政治力でもって開戦前から入念な調略工作や周到な準備を重ね、東軍勝利が確定的になるまで政情を誘導していたからとされていまして。
この策士家康による天下簒奪への完璧なまでの流れは、様式美と言ってもいいくらい半永久的に愛される展開だと思います。
司馬遼太郎の「関ヶ原」もまさにそうで、家康を豊臣から天下簒奪を図る「陰謀論」的な見方で描き、対する三成は豊臣に忠義を尽くす「忠孝論」的見方で描くのが今まで鉄板でしたが、ここに新「関ヶ原」がきたよ。コレ!
以下引用
しかし何故
全国の大名が静謐を壊してまで投機的な戦いに突き進んでいってしまったのか?
筆者は「陰謀論」にも「忠孝論」にもその答えを求めない
「天下簒奪の陰謀」「豊臣氏への忠孝」
当事者に左様な夢想に耽るような余裕があるとは思えない
何故 関ヶ原の戦いが起こったのか
その舞台裏を描く次第
天下簒奪の陰謀の夢想に耽るような、そんな余裕なかったんじゃないか?
つまりこの作品での家康はすべてが計算による駆け引きではなく、どこまで結果を予測していたかは不明。
各々が刻刻と変わる状況に最善の策を考え対応するうちに時代の潮流に巻き込まれていったんじゃないか?
それを描こうと言うわけです。
秀吉亡き後、権力集中と内紛を防ぐためにおかれた「五大老・五奉行」の差し迫った課題は「唐入りの始末」でした。
秀吉が生前断行した朝鮮出兵、いわゆる「唐入り」は泥沼化したまま秀吉は死去しましたが。
若い頃は「人たらし」とか言われ魅力的で聡明だった秀吉ですが、おじいになってからは認知症かと思うくらいの変貌ぶりでして、えらい負の遺産を遺したもんです。
大陸へ渡り苦境に立つ将兵たちを無事に撤兵させなければならず、戦争に疲弊して味方同士での憎悪もすごいです。
そのうえ「お疲れさま。大変だったね」じゃすまないんです。
帰って来ても恩賞とする土地がないんです。
こりゃ下手すれば内乱が勃発するかもしれんから「五大老・五奉行」が一致団結して詫びようという仕儀となるのですが、ごめんねで済むのか。特にシーマンズ。
地獄から戻ったシーマンズに「恩賞ないんで」とか言う勇気ある?
コワイワー(;´д`)
まず描かれるのはこの難題に立ち向かう「五大老・五奉行」でしてね、渡海衆らの内乱を阻止しなければならぬと、この時点では誰も戦いを望んではいません。
もちろん家康も権謀術数どころか先の事など何も考えておらず、内乱を防ぐためには「胸クソ悪いけど五奉行の言う通りにするわ」と妥協するつもりで評議に臨んだのです。
が、三成をトップとする五奉行に手柄を取られるんじゃないかと焦り出しつい口癖の「馬鹿者」が出てしまい評議は紛糾します。
謀臣・本多正信から「短気を起こして馬鹿者なんて言えば上から目線と嫌がられるから」と窘められてたのに~(汗)
まあこの年齢になれば三成なんて若造だし「馬鹿者」と言いたくなる家康の気持ちもわからないでもないです。
家康は粗忽で失敗も多く、自分の思い通りに事が運ばず狼狽する姿の方が印象的です。
狡猾で抜け目のないタヌキオヤジも見飽きた感があるから、五奉行から政務に横やりを入れ老害の如くウンザリされる家康って新鮮。
百戦錬磨の戦国武将だからこそ、いざと言う時のために戦になる事も考えておかなければならないと、派閥作りの接待に励み出す家康も小者で可笑しい。
それが裏目になって、皆が撤退のために粉骨砕身してる時に撤退失敗の相談をしてたのかよと責められる家康(汗)(汗)
浅野や前田の動向を読み違え、「五奉行」&「四大老」を敵に回す羽目に(汗)(汗)(汗)
一方、三成は「仕事はできるがクセが強すぎる嫌われ者」ではなく、現場で積極的に汗をかく誠実な頑張り屋さんで人気があります。
その裏で家康を排斥しようと実は思っておるんですが、自然と声望が増し徒党のような勢力ができ始めちゃう。
政権内の人望の天秤は三成の方へおおいに傾き、結句家康は「縁組」という一線を踏み越えてしまいます。
派閥作りに嫌疑を持たれてしまったからにはさらに派閥を大きくして文句を言えなくするしかないと考えたのです。
あくまで内乱を望んでるのではなく、内乱を防ぐためにやってるつもりです。
しかしどうにも見通しが甘く窮地に陥る様子はまさに「どうする家康」ですな。
この「五大老・五奉行」体制が、かえって権力集中と内紛を増幅し関ヶ原の火種になったというのは面白いですね。
秀吉死後、朝鮮から日本軍を撤退させる時に既に「五大老」と「五奉行」の間で主導権を巡る駆け引きが行われていて驚きました。
古文書の一文が解説文と共に引用されるのも「センゴク」同様で大胆な考察で歴史に迫ります。
早く次が読みたし。