akのもろもろの話

大人の漫画読み

漫画/「蘇州夜曲」森川久美 もう一度読みたい名作漫画

水の蘇州の花散る春を惜しむか柳がすすり泣く

昭和初年。

広大な中国大陸を後ろにひかえ国際都市として繁栄する上海。

そこは各国スパイが暗躍し犯罪シンジケートがしのぎを削る、東洋の魔都であった。

(森川久美「蘇州夜曲」)

あたしは70~80年代の古い少女漫画を読むのが好きで集めてもいたが、実家の押し入れにしまい込むという保存状態の悪さからか本の劣化が進み、ある日、紙の黄ばみやシミを通り越し砂と化していた。

本が好きな割にちっとも大事にしない、とんだうつけである。

いかにもサバイバーなこの漫画本は、ちょっとAmazonで検索してみたら中古本が「2980円」の値がついていて、ビックリシタナモーである。

43年前の漫画を今も欲しい人がいることもだし、過去の名作も電子書籍化されて読めるようになってきた昨今、もう古書には拘っていなかったが、大事にしよ!と現金にも思いを新たにしたのだ。

 

「蘇州夜曲」は1980年に少女漫画誌「LaLa」に連載された作品。

あらすじはこうである。

主人公は、内地から「上海日報社」にやって来た、新聞記者の本郷義明という30絡みの男だ。

本郷は、お上に盾突いて内地の一流新聞をクビになった、という噂だった。

その夜、本郷は憂さを晴らすように四馬路(スマロ)へ行ってしたたかに酒を飲んだ。

当時、上海には英米仏や日本の租界があり、四馬路はその歓楽街だ。

租界は、中国の弱体化につけ込んで各国が強制的に借り上げた居留地でして、租界を有したことで、世界への窓口となった上海は、あらゆるモダンな物に溢れ、誰でも外国文化を堪能することができた。

中国の法律の及ばない租界には、各国の中国侵略の前線基地として、各国スパイ、犯罪シンジケート、そしてこの国から外国勢力を追い出そうとする革命分子、三つの勢力が拮抗していた。

租界には、茶館、伎館、阿片窟が集中し、テロ、阿片、賭博、人身売買が日常茶飯事だ。

ってなわけで、さぞやアツイ事件の記事が書けるだろうと勢いこんだ本郷だったが、編集長から命じられたのは、蘇州の観光案内記事でしてね。

蘇州行きの列車の中で「馬鹿にしやがって」と独りごちる本郷は、偶然にも四馬路の酒場の白人歌手「上海リリイ」と乗り合わせ、彼女に蘇州を案内してもらう事になるのだ。

蘇州は上海の西に位置する都市で、古典庭園で知られる水の都であった。

 

月落ち烏鳴いて霜天に満つ

江風の漁火愁眠に対す

故蘇城外寒山寺

夜半の鐘声客船に至る

 

これは唐代の詩人「張継」の有名な「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)

「寒山寺」の鐘の音は、この漫画のタイトルともなった李香蘭が歌唱した「蘇州夜曲」にも歌われている。

李香蘭は日中戦争の最中に、日本人でありながら、中国の歌姫として一世を風靡した人である。

父親は満鉄の社員で、中国生まれの彼女は、美貌で中国語に堪能だった。

軍事力だけでなく、文化的な支配をも実現しようと設立された満映は、日中の架け橋となる大女優を作りだそうとした。

軍部の狙い通り、李香蘭は日中で大人気となり、次々と映画に出演し歌は大ヒットした。

しかし中国の人は李香蘭は中国人だと思っていた。

日本の敗戦を上海で迎えた彼女は、中国人として祖国を裏切り、日本に協力した容疑で、中華民国の裁判にかけられてしまう。

日本人であることが証明され、国外追放処分となり帰国できたが、こんな人生もあるんですねえ。

おっと、話がそれちゃったぜ。

 

ロシア革命で故国を捨てたリリイ。

酒場の美形のボーイ、黄(ワン)は中国人の母と日本人の父を持ち、中国人として生きることを選びながら、二つの祖国の間で苦しんでいた。

本郷は中国人の娘・梨華(リーフォア)を助け、行き場のない彼女を、自分が泊まっていた外国人専用ホテルに連れて行くが、それが原因でホテルを追い出されてしまう。

「犬と中国人は入るべかざず」

租界の公園で掲げられていた看板はあまりにも有名だ。

また、上海へ流れて来て、落ちぶれた日本人画家や、さらには日本陸軍特務機関の影村月心など、上海から揚子江を遡った先に国際的な謀略が絡んでくるのは、プチ「黄土の奔流」(生島治郎著)的ワクワク感だ。

何と言ったって、本郷と中国美青年・黄の友情が見所で、黄の長くたらした前髪からのぞく憂いを帯びた瞳に胸を衝かれる。

租界で外国人が優雅な生活を謳歌している裏には、あからさまな中国人蔑視があり、本郷は常に弱者である中国人側に立とうとする。

黄はこの風変りな日本人をどこか気に入るが、同時にそんな本郷の義侠心なんてすぐに潰えてしまうに違いないとわかってるのだ。

わかっているけど、何かを信じたい若い黄の暗い情熱。

リリイもまた故郷を失い誰かを何かを求めて彷徨う姿は黄と同様で悲しい。

まったく上海と来たら、大変な街でござるな。

でも何と言うか、リリイが上海の夜を仕切る通称チャイナクイーンで、宙づりされた本郷を鞭うちしたり(ちょっとあやしいぞ)ラストのベタな展開やご都合主義が香港映画のようでおかしい。

この後、続編として、日中戦争前夜の特務活動を描いた「南京ロードに花吹雪」が1981年~1983年にかけて「LaLa」で連載され、真珠湾があって第二次世界大戦があって本郷はその後どうしたのかが描かれた「Shanghai1945」が1987年に「プチフラワー」で連載された。

本郷義明三部作だが、内容は少女漫画としては極めてシリアスで、後へ行くほど話が暗い。

でもあたしは、今はキャラクター史上主義な漫画作品が多いけど、書き手の描きたい物が強く感じられるこういう作品が好きなんだ。