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大人の漫画読み

漫画/「艮(うしとら)」山岸凉子 感想(ネタバレ)

「艮」は今月発売の四つの短編からなる山岸凉子ホラー作品集。

【収録作】

「艮」講談社モーニング2014年2・3合併号~6号

「死神」幻冬舎comicスピカ2014年5月・6月号

「時計草」小学館ビッグコミック2018年12号

「ドラゴンメイド」講談社モーニング2021年46号

単行本初収録作品集。

(山岸凉子「艮」)

酷暑続きの毎日にコレを読めば冷房効果バッチリです

この夏のあまりの暑さにこちらを読んで涼み給えとばかりに、山岸凉子傑作ホラー作品集が電子と紙で同時発売しているんだな。

山岸凉子作品にはホラー漫画も数多いが、クオリティの高さは圧倒的でして、本当にとっても怖いのだ。

あたしは以前「天人唐草」という作品を読み、トラウマ級の怖さに寝込みそうになったんだぜ。

 

表題の「艮(うしとら)」についてふんわりと書いておくと、艮というのは北東の方角のことで、いわゆる鬼門である。

鬼門はこの方角から鬼が出入りすると考えられていて、玄関やトイレ・台所など水回りは避けるべきとされているのだ。

さてさて、出版社に勤務する樋口晶子は、夫は単身赴任中で、娘を保育園に預けながら仕事と家事育児にひとり奮闘している。

彼女には子宮内膜症という病気もあり無理は禁物だが、買ったばかりの戸建てのローンがあるのだ。

冒頭、彼女の家の勝手口から脱獄囚が逃げ込み、息を潜めて隠れながら、母娘の様子を覗き見ているのである。ひえー

晶子は霊能者・由布由良の取材をすることになり、彼女のインチキっぽさに辟易しながらも、気になることを言われる。

娘は突然泣き出したり熱ばかり出すようになるし、自分も体調を崩し欠勤してしまう。

上司から戦力外だクビ!と宣告されるかもと、おののきながらも必死に頑張る若い母親が疲弊してく描写が秀逸だ。

そんなこんなで、晶子の家の勝手口が鬼門の方角に当たっているとわかる!(これぞ、うしとら)

内膜症と思ってたら卵巣嚢腫だと診断されたり、娘が川崎病かもしれないと言われたり、冷蔵庫の野菜がすぐに傷んじゃうし、キッチンのある場所を開けようとすると「かまいたち」で指先を怪我するのである。

え~、も~、どうしたらええねん~(´;ω;`)

鬼門が開いてて何かが入って来てるって、まさかあれ?家に潜んでる脱獄囚のゴリラなのか?

鬼門とかまいたちを一生忘れない作品。

 

死神

ベテラン看護師が語る「おむかえ」の話。

人が臨終の状態に近づくと、「おむかえ」という不思議な現象が起こる。

患者Aさんは、夜中に誰かがやって来ると怖がり、枕の下に果物ナイフを隠し持っていたので、私は危ないからと預かった。

夜、Aさんの部屋に入って行く背の高い男性のシルエットを見て、ご主人だろうかと思い部屋を覗くと、Aさんの容態が急変しており、明け方近く亡くなった。

Aさんのご主人は遠方で臨終に間に合わず、あの時部屋には誰もいなかった。

あの人影は誰だろうか?

 

Bさんの臨終には大勢の親族が病室に詰めかけたが、なかなか亡くならないので、いったん帰宅しようと家族がバタバタしてる中で、ひ孫が「知らないおじちゃんとおばちゃんがいる。怖い」と泣き出す。

Bさんのすぐ近くにいた私にはBさんの声が聞こえた。

「いい子だ。見えるんだね。父さんと母さんが来てる・・・」

Bさんには意識がないと思っていたので驚くと、壁際に静かに座っている夫婦の姿を見た。

しかしその2人が忽然と消えたため(座っていたはずの椅子も消えていた)驚いていると、Bさんは息をしていなかった。

 

人がその死に際して「おむかえ」が来るという話はよく耳にする。

死が近くなると、目を開けていても視線が合わなくなり、部屋の隅の何かをじっと見つめていたりすることがあるが、「おむかえ」を見ているのだそうだ。

こんな話は、もっと若かった頃の自分だったら信じなかったけど、祖父母や母の死を経験してからはおおいに信じているあたしである。

だが、「おむかえ」は誰にでもあるわけではないらしいのだ。

ある婦長経験者は死に際して「おむかえ」が来ることを信じ待ち望んでいたが、亡くなる少し前に虫の息で「まだ来ない・・・」と悲しそうに言うんだな。

あー絶望して死にたくない。

ちょっとがっかりである。

「おむかえ」とは違うが、交通事故死した恋人の後を追って自殺した女性の臨死体験も怖い。

彼女はただただ恋人に会いたい一心で死んだら、全然違う所へ行ってしまい、そこは風が吹きすさぶ、寒い、荒涼とした寂しい場所で、気がついたら青い顔をした2人の男に両側を挟まれて歩いていた。

自分は間違っていた。

自分は永遠に彼に会えないのだ。

と気づいた時、病院のベッドの上で目が覚めたと言う。

彼女が会ったのは「おむかえ」ではなく死神である。

自死することへの戒めもあるのだろうが、凄まじい話だ。

 

時計草

大島弓子のなんの作品だったか、死後の世界は実に長閑な田舎の風景でしてね、遠くを乗り合いバスが走って行くのを、自分はカフェでコーヒーを飲みながら眺めている。

そんな場面があって、なんて素敵なんだろうとウットリ憧れてたんだが、ああ本当に、死んだ後こんなことになったらどうしよう。

自分が死んだことにも気づかず死後の世界をウロウロと彷徨ってるなんて嫌じゃ。

なんかほら、人間て自分はいつか死ぬとわかってるでしょ。

動物でも虫でもいつか死ぬんだけど、自分は死ぬってわかってるのは人間だけじゃないですか。

自分は死ぬっていう悲しみを抱えながら、生きていかなければならないのが人間なのだ。

なのにいざその時になって、死を受け入れられないというのは、山岸凉子風に言えばこの世での修行が足りぬということらしい。

人は孤独で間違いも犯すけど、この世では精いっぱい生き切ることが肝要である。

怖いが考えさせられる傑作揃いだ。

などと知った風な口ぶりで、思う所は一杯あるけど長くなるので割愛。

 

初収録なのが嬉しい