2022年に刊行された「ベルサイユのばら」の作者が短歌とエッセイで綴る、私的で普遍的な11のテーマによる歌集「寂しき骨」。ってか、歌人になってたのね。
戦争に行った父、最後の恋、老いと向き合う
池田理代子さんと言えば、1972年に「週刊マーガレット」で連載され一世を風靡した「ベルサイユのばら」だ。
他にも「オルフェウスの窓」(1975年)とか好きな作品はたくさんある。
華やかなイメージの「ベルサイユのばら」も連載当時は「少女漫画で歴史物は当たらない。女や子どもに歴史なんてわかるわけがない」などと言われたのを(失礼しちゃうわね~)見事に大ヒットさせた。
そんな作者が、90年代になってから東京音楽大学声楽科に入学しオペラ歌手になったと知った時は驚いたものだ。
45歳になっても何かを始めるのに遅いということはないのだと思えども、実際に音大に受験する行動力に舌を巻くじゃないか。
その作者が今度は歌人になっていたのだ。
これを出さねば死ぬに死ねないほどの切羽詰まった気持ちでこぎ着けたという出版。
「父と戦争」で始まり「母」「老いと向き合って」「最後の恋」など11のテーマから、70代になった作者が三十一文字で振り返る人生はとても赤裸々だ。
父は、徴兵されて中国にも行き、そして南方にも行った。多くの日本軍兵士たちが、全滅に近い戦いを強いられた南方の島で、父は生きて捕虜となり、日本に帰ってきてくれた。そして母と結婚し、私が生まれた。(「父と戦争」より)
南方の戦を生きて父は還る 命を我につながんがため
手榴弾一個ばかりの命にて 語れぬ日々を兵士は生きたり
8月15日が来る度に戦争を思う。
若い頃はずっと、中国や南方で現地の人々に辛い思いをさせたであろう日本軍兵士に対して憤りがあって、南方へ出征した父親と戦争について語ることをしなかったという。
日本陸軍の無能のせいで南方へ行った多くの兵士は苛酷な戦いを強いられた。
負傷しマラリアに罹患し麻酔無しで手術を受け、捕虜となりながら生き抜き、自分をこの世に生み出してくれた父への感謝。
若い頃はわからなかった父の苦労が年を重ねた今はわかる、というのは誰にでもあるんじゃないかしら。
でもこの人ファザコンだわね。
父の他に男はないと分っていた ほかの男は息子にすぎぬ
母親は教育熱心で多くの習い事をさせてくれた。
作者が母の期待に応えられる優秀な娘だったから、母親はいっそう力が入ったろね。
私が35歳を過ぎても病院の診察に付き添ってきて、医者からたしなめられてた母。信頼していた男性に騙されていたと分かって、「死んでやる」と泣く私にしがみつきながら「あんたがどうしても死にたいなら、一緒に死んであげるから」と叫んでくれた母。
何回結婚しても、耐えがたく辛くなるといつも「お母さん」と泣いていた私。(「母」より)
あれほどに子を慈しみ子を抱きし 母が見知らぬ人となるとき
それほど愛情深かった母親が、80歳を過ぎてホームに入ってからは、明らかに作者に対し疎ましさを示すようになったという。
仕事をして生きる人生が憧れだったとよく言っていた母親の、成功した娘への嫉妬なのか。
実は「なぜ?お母さんは私が幸せになることが気に入らないの?」と悩む娘は多い。
母と娘の関係は案外複雑なのだ。
老いた飼い猫を看取った話もある。
もういよいよとなって、24時間対応の救急病院に運び込み、ICUのガラス箱の中で人口呼吸器に繋がれて横たわる愛猫。
すごいんだね。今のペット医療って。
人間並みのこの状況にたまげるわたくし。
心臓停止後も心臓マッサージが施される。
あの人口呼吸器につないで命を長らえさせた数日のことは、今でも時折、恨まれているのではないだろうかと、私たちの話題に上ることがある。(「猫を看取る」より)
恨んじゃいないだろうけど、わかってるんなら早く楽にさせてあげなよ。
スポイトの命の水を含みをり 老い猫の背の寂しき骨が
2度の不倫と3度の結婚。
作者は60歳で最後の恋をした。
相手は自分より25歳若いオペラ歌手だった。
人間は 矛盾の中に漂へるひとひらの花と書きくれしひと
きみを送る 師走の風に君を送る 愛しわが子を手放す如く
ただ白き光となりてわがあらむ 君のすべてを抱かんがため
私は猜疑心に苛まれ、いつ捨てていかれて若い女に走られるのかと、来る日も来る日も、起きてはいない現実を想定しては相手を責め続けた。(最後の恋より)
めっちゃ激動の日々。
マクロンだって24歳差なのに。
60歳の作者は彼との関係と共に自分の老いとも向き合わざるおえない。
この人を忘れてしまう日が来るのか いつか私でなくなる時が
あんなに愛してくれたのに自分を忘れてしまった母親と自分を重ねて詠んだんだねー
「寂しき骨」とは老いた愛猫の背骨であり、死んだ父や南方の戦場に倒れた兵士たちの骨。
骨にこだわり、老いと死の苦しみが表れる歌が印象深い。
なんか波乱の人生を歩んできたイメージの作者だが、こんなにもストレートで飾らずに自分を語れるのも稀有な人だし、短いエッセイも歌も真っすぐ心に響き素直に入って来るなあ。
息ひとつ吸いてこの世に生まれ来る ものみな息を吐きて逝くなり
オスカルが死を目前にして亡きアンドレに問う。
「苦しくはなかったか?死は安らかにやってきたか?」
25歳で描いたベルばらにもこんなシーンがあり、作者は死について考えてきたのだな。
人は必ず死ぬし老いる。
いつか自分が死ぬことをわかって生きているのは、動物の中で人間だけだ。
時間を無駄にしてはならない。