1915年(大正4年)12月9日から14日にかけて、北海道苫前群苫前村三毛別六線沢で開拓民をヒグマが襲った「三毛別羆事件」を戸川幸夫が小説化。
その物語を「釣りキチ三平」の矢口高雄が漫画化した作品。
人も熊も破ってはならない!大自然にはルールがある
以前、吉村昭の「羆嵐」(くまあらし)を読んだのですが、戸川幸夫のは「羆風」(ひぐまかぜ)でして、なんか紛らわしいですな。
「三毛別羆事件」が起きた場所は、大正時代の電気もない北海道の開拓地で、当時は情報網も発達してませんから、大惨事にもかかわらずそれほど大きく報道されなかったようです。
昭和36年になって、北海道出身で林務官の木村盛武が現地調査に乗り出し、旭川営林局誌に「獣害事件最大の惨劇苫前羆事件」を発表。
これを元ネタに書かれたのが戸川幸夫の「羆風」であり、吉村昭の「羆嵐」で、世間に広く知られるようになったわけです。
また前著の内容を充実させた「慟哭の谷」も出版されています。
さて、あらすじ。
北海道三毛別六線沢。11月初旬。
15戸の開拓集落のひとつ池田家の軒下に干されてたトウモロコシが2度もヒグマに食い荒らされ、池田はマタギの谷喜八に相談します。
谷によると、ごくまれに冬眠できなかった熊の事を「穴持たず」と呼ぶらしいのですが、この秋の山の実りは悪く、ヒグマは腹が満たせないまま冬が来てしまったのです。
熊の習性として一度味を占めるとまたやって来るってんで、池田方で待ち伏せましたが、若いマタギの不手際でヒグマを撃ち漏らしてしまったのですがな。
ところがヒグマを追跡中に山が猛吹雪となり追跡を断念。
人間が野生動物を中途半端な手負いにした責任を果たさなかったために、山に逃げ込んだヒグマはめっちゃ怒り狂暴になってしまう。
ここから大惨事が始まってしまうのです。
12月9日、太田家がヒグマに襲われ妻と7歳の子どもが殺されてしまうんですが、家の中は血の海でして、ヒグマは板張りの窓をぶち壊し妻の遺体を引きずって屋外に運び出したらしく、窓には女性の毛髪が絡みついていました。
妻の遺体はヒグマに食い荒らされ土に埋められていたのが発見され、太田家で通夜が営まれますが、餌を奪われたと思ったヒグマが取り返しに家をぶっ壊して乱入。
人々は恐怖で屋外に飛び出したり梁に登ったり右往左往し大混乱となります。
さらにその十数分後、明景家にもヒグマは襲いかかり妊婦や子供を殺害。
騒ぎに駆け付けた男たちが家を取り囲む中、家の中からは悲鳴やゴリゴリバリバリと人の骨を噛み砕く不気味な音が漏れて来て手も足も出せませぬ。
苦肉の策でヒグマを屋外に追い出したものの、マタギの銃がアラアラまさかの不発で逃げられてしまいます。
わずか2日間で6名が殺害され3名が重症。
このヒグマは過去にも女を襲ったことがわかり、ヒグマは人間の女の味を知ると女に異常に執着するようになるんだとか。
ざっとこんな話ですが、コワイワー。
開拓民たちの貧しさや冬の厳しさや時代背景が漫画だからわかりやすいし、さすが自然描写はうまいですね。
家と言ったってアータ!出入り口と窓にむしろを垂らしただけの粗末さでガラスなんかないのよ。
冬は深い積雪に埋もれ、一日中囲炉裏の火を絶やさずいても厳しい寒気にさらされますねん。
この粗末な小屋をぶっ壊して、超巨大な人食いヒグマが突然襲ってくるんですから、人々の恐怖と言ったら察するに余りあります。
矢口氏の作画は内臓や人体損壊など残酷描写には配慮してありますが、ヒグマがどんな風に人間を食うか微細に描いていて、じっくり読んでいると本当に恐ろしいのです。
妊婦がヒグマに食われながら「腹、破らんでくれ」と叫ぶ有名シーンも鳥肌が立ちそうです。
追いつめられた人々は、食い残しは必ずまた食いに来るという熊の習性を利用して遺体を囮におびき寄せて殺そうとするなど、人間とヒグマの攻防が繰り広げられますが、ヒグマの前では人間はまったく無力。
日頃から銃を自慢してた人がいざ発射したら不発とか(手入れが悪かったのです)我れ先にと争って逃げたり。
なんかしょーもねー。
人間は他の動物の最上位にいるなんて思ってたらとんでもないよ。
ヒグマの方が圧倒的に強いよ。
勝てるわけないよ。
それにしても大自然の中で生きとるというのに、人々の無知というか甘さが思い知らされます。
開拓と称してヒグマの生息地に入り込み、ヒグマから見たら自然の秩序の中に人間が強引に闖入してきたのに、そんな事考えてもいないんですよね。
人間は彼らと同居してるのにちっともわかってなくて、自然はすべて自分の物だと勘違いしてる描写が秀逸です。(「熊に食べさせるためにトウモロコシを作ってるんじゃないんだよ!」と怒ってるオバサンとか)
人間は自然の中の一員であるという意識があまりに欠如してると思いました。
ヒグマの方が開拓や森林伐採で生きる場所を追われた被害者ではないですかね。
とは言え、このヒグマの場合は図に乗り過ぎて、白昼堂々と留守宅に乱入して荒らしたりどんどんやる事がエスカレートして罪を重ね過ぎてしまいます。
ヒグマも自然のルールを破ったから、ラスト近くでやっと登場する山本兵吉さんに射殺されてしまうのです。
しかしこのヒグマの狂気のようなものも、なんか人間のせいのような気がしましたね。
やはり互いのテリトリーを守り、互いに畏れながら共存するしかないと思うけど。
漫画的表現と言えば、ヒグマを擬人化した心理描写は一気に子ども向けみたいになってしまって興ざめなのでいらなかった気がします。
千ページを超えるボリュームで読み応えがあります。