「新選組血風録」は司馬遼太郎が60年代に書いた傑作で、新選組を題材にした短編集です。
各話は、新選組に実在した人物あるいは架空の人物を主人公にした群像劇となっており、隊内に巻き起こるドラマに定番キャラの土方歳三や沖田総司が絡んでくる構成です。
司馬作品には土方歳三を主人公にした「燃えよ剣」という長編もありますが、「新撰組血風録」もまた面白いのです。
なかでも「前髪の惣三郎」は隊内で起こった男色騒動を描いていて、新選組ものとしてはちょっと異色です。
さて、出だしはこんな感じです。
堀川屯営のころ、何度目かの隊士募集があり、諸国の剣客二十数人が、屯営構内の新築道場にあつまった。
新選組も、文久三年の春結成当時は、京大阪の近在の道場に檄をとばして大量にかきあつめたため、ずいぶんいかがわしい者も入隊したが、いまはそうではない。よほど大流の目録以上でも、むずかしいとされた。
考試は、あらかじめ、剣術なら剣術の、流儀、師名、伝授次第(階等)、などを書いて渡しておく。
あとは、実技である。応募者同士を闘わせるものだが、これはすさまじいもので、技もみるが、気力を重んずる。
試合は勝ちぬきで行われ、最後に残ったのは加納惣三郎と田代彪三(ひょうぞう)でした。
双方腕が立ち激しい勝負の末に、審判の沖田総司は加納に手を挙げます。
この二名は入隊が許可されますが、剣術の腕前よりも一同を驚かしたのは加納惣三郎がすこぶる美形だったことです。
しかも前髪を残しているのですがな。
江戸時代の男性のヘアスタイルで「前髪」というのは重要なファクターでして、大人の男性になるための「元服」をする時に前髪は切り落とします。
つまり前髪はまだ一人前じゃないことの象徴であり、当時の人たちは元服前の少年の前髪に何とも言えぬ色気を見出していたわけです。
近藤勇にはそういう衆道の御趣味はありませんでしたが、惣三郎があまりに美しいのでちょっとデレデレしちゃいます。
そりゃあ男だって若くて美しい方がいいに決まってる。
それと引き比べると、田代は不細工で冴えない風貌だったんですよね。
この作品は1999年に公開された大島渚監督の映画「御法度」の原作にもなりました。
ちなみに「御法度」で惣三郎を演じたのは若き日の松田龍平さんで、土方歳三役は北野武監督でした。
新選組は烏合の衆ですから、隊を統率するための隊規が厳格で、違反した者は容赦なく粛清されました。
隊規に触れた隊士の断首や切腹の介錯は、新入り隊士が度胸をつけるために選ばれます。
惣三郎は罪人の断首の役に指名されますが、土方が「あいつは人を斬ったことがあるんじゃねえか」と思うほど落ちつきはらい、見事な腕前で首を落として見せました。
それを見た近藤は「勇気がある。蘭丸に似ている」と上機嫌でしたが、違う違うそうじゃない、あれは勇気ではない、心のまったくちがった場所から出ている、と土方は感じたのです。
隊内では、惣三郎の色気に刺激され言い寄る者が出てきます。
特に同期の田代がグイグイ迫ったが拒否されたという噂です。
そんなある日、土方が沖田を探しますと、一番隊組長でありながらどこか飄々とした沖田は屯所におらず仕方なく外に出て見ると、案の定村の子どもらと遊んでいます。
土方は沖田に「加納と田代では腕はどちらができるだろう」と聞いてみますが、沖田はきっぱりと「加納ですよ」と言うのです。
総司がそう言うんならそうなんだろうと土方は思います。
司馬氏が描く土方と沖田のやり取りの場面はいつも微笑ましく、実の兄弟のような強い信頼感が構築されていて尊い。
土方はそこで、道場へ行き加納と立ち合ってみると加納の剣は思った以上に鋭く、今度は田代を探し出して立ち合ってみると、なるほど沖田の言うように田代の方が一段落ちます。
しかし加納と田代を呼び二人を立ち合わせると、田代はさっきとは見違えるほど気魄が充実し、逆に加納はどこか萎えていて負けてしまったのです。
それを見た鬼の副長は直感しました。
ムムム、こいつらできたな!!
剣術の立ち合いを見て二人の仲に勘づくとはさすがだぜ土方さん。
田代に仕込まれ男色を開眼した惣三郎は、自分に懸想する平隊士の湯沢とも関係を持ち二股をかけるというあざとさで、嫉妬に駆られた湯沢は田代を斬ってやると息巻くものの、ある朝死体で発見されます。
近藤は惣三郎に女を教えてやったらどうかと言い出し、土方に命じられた監察の山崎は惣三郎を島原遊郭へと誘う。世話が焼けるのお
それを自分に惚れていると勘違いした惣三郎は、山崎の手をそっと握ってくるのでした。
困ったな・・・と思いながら、なんでかその手を振りほどけず、ちょっぴり甘酸っぱい気持ちになってしまう山崎。
ところがその晩、山崎は襲われます。
犯人は田代であるらしい。
惣三郎の妖しい魅力に、泣く子も黙る人斬り集団新選組の風紀は乱れ、近藤も土方も山崎もこのノンケキラーに調子を狂わされ、俺にも衆道の気があったのだろうかと戸惑う。
実際、元治元年に出された近藤勇の書簡にも新選組内で男色が流行していると記されてるそうです。
でもね、殺るか殺られるかの血生臭い日々を生きる男たちが惹かれ合ってしまうのもなんかわかるような気もしませんか?
だって近藤と土方、土方と沖田だって性的な関わりはないものの、この親密な関係性や強い絆はホモソーシャルで他の人間は決して入り込めませんもの。
山崎を襲った田代には討っ手として惣三郎が差し向けられます。
いやもうね、湯沢を殺したのも山崎を襲ったのもお前じゃね?と思うけど証拠がないのです。
その美貌ゆえに愛され関係を持った男を躊躇なく斬る。こんな異常な愛情の中にいる人の屈折した心情などは到底理解はできんと土方と沖田は思います。
しかしながらこの原作を読んだ大島渚監督は男たちの殺気の中にエロティシズムを感じたんではないでしょうか。