幕末が舞台の「松かげに憩う」は吉田松陰と松下村塾の門下生たちの生き様を描いた歴史漫画。
松陰の死後、彼らは倒幕という巨大な目標に向かい、次々と歴史の波に身を投じていった。
高杉晋作と並び「松下村塾の双璧」と謳われた久坂玄瑞
この漫画のキモは「狂」なんですよね。
松陰の決めゼリフは「諸君、狂いたまえ」なんですが、松陰の言う「狂」とは変革に対する行動と気概です。
幕末は現代人には考えられない激動の時代です。
議論では幕府は倒れません。
旧時代の厚い壁を破壊するには、自らを「狂」に駆り立て、狂人にでもならなければ革命など成し得ないと言うのです。
バチクソ暴走してた頃の松陰先生
松陰が死罪に処せられるまでの数年間、松下村塾で生徒らを相手に蒔き続けた種は、松陰の死後に芽吹き始めます。
松陰の期待と予言通り、彼らは狂い出し、師の志を継ぐ純粋な生き様を見せながら死んで行くわけです。
ちょっと死を美化し過ぎてる気もしますが、もうねー、幕末に生きた長州の若者たちの思いが胸に迫るアツイ漫画になってるんですよ。
さて、久坂玄瑞。
松下村塾きっての秀才と言われた久坂は医者の家に生まれましたが、両親と兄が立て続けに死んでしまいましてね、14才であっという間に一人ぼっちになってしまったカワイソーな身の上。
松陰先生と怒涛の文通バトルを経て弟子となり、17才の時に松陰の妹・文と結婚しました。
この婚姻は久坂の才能を評価する松陰の勧めでして、天涯孤独の久坂にとっては有難い話なのですが、長身でイケメンの久坂は「文殿はブスだから嫌だ」と断ろうとして怒られたというね (-_-;)
松陰の死後、松下村塾は実質解体となり皆バラバラになってしまいましたが、久坂は幕府に対して怒り狂っているはずなのに何も行動しないまま、桜田門外の変が起こったのを知り、他藩に先を越されてしまった腹立たしさと焦りで一杯でした。
国のために何かをせねばと、京都や江戸に遊学したり、尊王攘夷運動を率いて京都を拠点に活動するなどしましたが、この漫画では家に寄りつかないのは忙しさだけでなく、文が好みじゃなかった御様子。
いうて久坂玄瑞って、高杉晋作に比べるとそこまで有名じゃないと思うんですが、久坂は他藩の有力者と交際する長州の周旋家として、禁門の変までの期間、京の都では華やかなものだったのです。
とは言え、つき合いの酒や女遊びを覚える中で、世俗の垢にまみれる己に気が滅入る久坂は、生涯不犯だったと言われる松陰と郷里の妻を思い出します。
その孤独を埋めることは誰にもできません。
禁門の変は京都での尊王攘夷派の勢力挽回を策した長州軍と、京都を守る会津・薩摩を中心とした公武合体派軍との軍事衝突です。
長州藩内は慎重派と進発派で二分され、戦う気がなかった久坂は、来島又兵衛、真木和泉らの迫力にグイグイ押されてやむなく挙兵。
元気すぎる来島のじいさんに最後まで振り回される久坂が不憫だよ。(ジジイと言われてるけど来島は40代)
朝廷への嘆願を要請するため侵入した鷹司邸で拒絶され、寺島忠三郎と刺し違えて自害しました。25才でした。
昔の人は老成しているから25才は江戸社会では中堅です。
行くも死。残るも死。
この漫画のお約束は、死ぬ間際に松陰先生が現れ「よく頑張ったね」って言ってくれる。
ところで、文との間に子がなかった一方で、京で久坂とつき合ってた芸者が彼の死後に子を産んでいます。
ひどいわねー久坂。と今なら思うけど、この時代の男は天下国家のために命を捨ててるから仕方ありません。
文はNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインになった人ですから、容姿云々を言うのは久坂の狭量で、禁門の変で久坂が自害した後は初代群馬県令となる楫取素彦と再婚しました。
ちなみにあたしの実家は群馬県高崎市なのですが、楫取素彦は明治時代に群馬県庁移転問題で高崎の住民から反感を買っているため、NHK大河「花燃ゆ」で盛り上がったのは前橋市だけで、高崎市は全くスルーで話題にもしませんでした。どうでもよいですね。
ここまで吉田稔麿、久坂玄瑞と来ましたから、次回は高杉晋作で、そろそろこの作品も終盤でしょうか。
さてもう一話は、野山の獄における松陰と高須久子とのエピソードでして、彼女はストイックな松陰が最初で最後の淡い恋をした相手だと言われています。
黒船に密航しようとして失敗した松陰は、武士用の野山の獄へ(割といい待遇)従者の金子重乃助は町人用の岩倉の獄(雑な待遇だし不衛生)へ入れられ獄内で死んでしまったことが松陰の心の傷です。
どこにいても松陰は先生で、自分が知っていることはすべて教えようとしました。
松陰は囚人たちに孟子の講義をするとともに、自らも俳諧や書を学び、獄吏さえ松陰の講義に耳を傾けたと言われています。
前例のない教育活動をしたのです。
本当に松陰先生ったら、知れば知るほどとんでもない方なんです。