akのもろもろの話

大人の漫画読み

百日紅 杉浦日向子

百日紅(上下巻)
著者:杉浦日向子
筑摩書房ちくま文庫
1996/12/1

葛飾北斎。

変人エピソードが多い北斎ですが、天才なのは間違いなし。

国内だけでなく世界中で高く評価されています。

まあ天才ってゆうのは変人なんですよ。(キッパリ!)

絵に人生の全てを捧げた求道者ですゆえに、有象無象とは見えてる景色が違うんです。

そんな天才・北斎を父に持ったお栄(北斎の三女・23才)が主人公でしてね、親父は娘を「アゴ」などと呼んでるのです。ひでーな!おい

46才で早逝した杉浦日向子さんの1987年の作品です。

杉浦さんの漫画を初めて見た時、その独特の絵柄に「浮世絵が漫画になっとる!」とビックリしたっけ。

江戸風俗研究家でしたか?時代考証が専門の方だったので江戸の風俗が生き生きと描かれています。

それにしても呆れた親子ですよ。

ゴミの中に座って絵を描いてる。

食った食器とかは片付けないし掃除はしない。

家の中は荒れるにまかせ、北斎(55才)は頭から布団を被り制作に没頭。

絵の依頼に来た人は驚き、足の踏み場もない汚い室内に敷物を敷いて腰を下ろす。

世間の評判は高いがやりたくない仕事はやらない北斎。

仕事はどんどん来るから作品は売れてるはずなのに貧乏にしか見えません。

たぶん金に対する執着はナッシング。

貧乏は苦にせず汚部屋も苦にせず、2人ともひたすらに絵を描くことのみに集中。

この家に後の溪斎英泉が居候してまして、英泉が拾ってきた子犬が部屋を駆け回ったりします。

やれやれ大変な親子ですぜ。

しかしまあ、天職を持ち他人の目を気にせず心のままに行動する生き方ができるのはスゴイ事だと思いますね。

だって封建時代ですよ。

江戸の文化は教養の文化だと言いますが、NHKの大河「べらぼう」を見てるとわかりますが、庶民の識字率の高さや出版業の盛り上がりが目覚ましいじゃないですか。

江戸の町人が担い手となって多様な文化が形成されています。

そういえば「べらぼう」にも北斎が登場してきましたね。

おっと話がそれましたが、お栄は北斎も認める絵師であることがわかります。

いやはや江戸の暮らしがリアル。

服装からちょっとした小物から言葉使いから所作から江戸の空気感を感じられます。

木と紙でできた江戸の家屋の冬はさぞや寒かったでしょうね。

冬の基本は着物を重ね着した上に綿入れを羽織り、下半身は股引をはいて厚手の足袋。

襟元が寒いから襟巻をしたり手ぬぐいをほっかむりしたりするのがファッショナブルな着こなしなのよ。

いつだったか北斎が首に巻いてたのがお栄の腰巻だと判明し「おめえこんな地味なのバーさんだって着ねえ」とか言ってましたが。

手はふところ手で着物の中に入れちゃうんだよな。面白いね。

暖房器具は火鉢だけですが、小さい手焙りと上に鉄瓶を乗せて湯が沸かせるちょっと大きい火鉢も置いてあります。

冒頭で居候の英泉が朝帰りに生首を見たと、歌麿の枕絵の裏に女の生首の絵を描いてみせます。

文をくわえた女の生首が三方に乗せられ旗本屋敷の門前に置かれてたと言うのです。

「ちょっと蕎麦食いにいこうぜ」と北斎が英泉を誘い屋台の蕎麦屋へ参りまして、「その生首はどうにも美しく菊人形のようだった」と言う英泉の言葉に芝居に出かけていた北斎は「芝居なんか後にすりゃよかった」と悔しがります。

近くを殺生禁断の御留川が流れていて「紫鯉がいる」と言ってるから江戸川ですかな。

身投げを助けるとくだんの生首の美女の関係者と判明し、という話です。

なにかほんとに細部にわたってよく描けてる。

文化文政時代の江戸の町は、現代の物質的な豊かさには及ばないものの、都市生活者としての活気に満ちていまして、独自の娯楽や文化を享受する豊かな暮らしを送っていたのです。

北斎、お栄、英泉の他、北斎のライバルである歌川門下の国直も登場しまして、それぞれの悩みや事件に遭遇します。

絵師たちの仕事シーンも良きです。

北斎が描く龍の絵にお栄がつい煙草の種火を落としてしまい、描く気が失せた北斎の代わりにお栄が描いた龍も素晴らしい出来でして、絵から抜け出し天空に舞い上がるようです。

北斎の女弟子の北明こと井上政。

お栄が色気がないのでお色気担当。

お政の滲み出る色気に北斎は「アゴに緋縮緬の腰巻でも買ってやるかな」と密かに思う親心が可笑しい。

この人も幽霊画ばかり描いてるというちょっとコワイ大人の女。

比してお栄は自分の容貌を卑下してるのかあきらめてるのか女としての幸せとか自分には無縁と思ってるのか。

絵はうまいけど色気がないと英泉の枕絵と比較され悩み、やっぱどうも恋愛には不器用なお栄が何を思ったか芳町に行った回も面白かったな。

知られざる陰間茶屋の世界を覗け興味深かったですわ。

この世とあの世の境目は今よりずっと曖昧で、霊魂や物の怪や山人なども日常の中に息づいているのも摩訶不思議な江戸の世界です。