akのもろもろの話

大人の漫画読み

漫画/「望郷太郎」山田芳裕

五百年後の世界に生き残った男が目撃するグレイトジャーニー

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(山田芳裕「望郷太郎」既刊5巻)

シベリア鉄道を歩いて日本へ

舞鶴グループ創業家7代目で、舞鶴通商のイラク支社長・舞鶴太郎は大寒波を逃れるために妻子と共に人工冬眠に入った。

地球は未曽有の大寒波に覆われ凍死者が数億人に及んでいた。

氷河期の到来らしい。

そうして太郎が目を覚ますと、ああ何という事か五百年もの時が経っていて、妻も息子もすでに死亡していたのである。

人っ子一人いない廃墟の街で太郎は絶望に打ちひしがれた。

なんで俺だけが・・・もう生き甲斐もない。

この気持ちわかるよね。

自分一人だけが生き残っても嬉しくもなんともありゃしない。

せめて日本に戻りたい。五百年前日本に残して来た娘や父親のその後を知ってから死んでやる、と太郎は考えた。

はてさて、ここはイラクのバスラなんですのよ。

都市は瓦礫の山で人は誰もいないし港も荒廃し船など乗れず、そこで彼が考えたのはシベリア鉄道を歩いて日本を目指す事だった。

バスラからとりあえずはカスピ海を目指して旅立った太郎だったが、まあなかなかたどり着けませんよそんなの。

ついに力尽きて倒れてしまいましてね、パルとミトという親子のような二人連れに助けられたわけ。

やっと人に会えた!と喜んだのも束の間、年長者のパルは太郎が死んでるものと思って、なんと食べようとしてたのよ。

しかもパルが太郎の喉を切ろうとしてたのが驚愕の打製石器でして。

どうやら五百年も氷河期が続いてるうちに、世界は石器時代に戻ってしまったようなのだ。

サバイバル能力にたけたパルと小さい頃にパルに拾われたという少年のミト。

二人の顔つきも話す言葉もどこの民族か見当もつかない。

それでもやっと出会った人間だったから、この二人と共にいて言葉や習慣を覚える事が生き残る事につながると太郎は考えた。

石器時代とカニバリズム

太郎は食べ物から何から彼らに世話になりっぱなしだった。

彼らは雪が比較的少なく動植物の多い場所を本拠地に狩猟生活を送っていた。

電気や紙がないのは確かに不便だが(尻を葉っぱで拭くとか)慣れてしまえば苦痛ではない。

果物をとって来たり、気が向いたら羊や猪を狩ったり、一日2~3時間しか働かず、干し肉の貯えもあるし、のんびりと気楽なものであった。

常にノルマや納期に追われ人事や税金に頭を悩ませていた商社マン時代との違いを太郎は痛感する。

だが段々と居心地が悪くなってきた。

それは二人から衣食住すべて世話になるばかりで自分は何も返せないからだ。

野生を失ってしまった現代人(538才)はあまりにも無力だ。

いい大人がまるで子供扱いで、年少のミトからさえ一人前の人として扱われてない。

人として対等になりたいと考えた太郎は、二人が「祭り」と呼ぶ猛獣との戦いの儀式に参加したいと申し出る。

なんか大人になるための通過儀礼的なやつな。

そのためには狩りを学ばねば。

太郎は別に腕っぷしも強くないし、ごくフツーの成人男性だから、パルのように五感をフルに使う猟犬並みの狩りは出来ないけど、ワクワクと血がたぎるような今までとは違う自分を発見しちゃったりして。

そんな太郎が、やっぱこの生活にはついていけないって思い知らされたのが、食人(カニバリズム)だ。

古代人の食人は儀礼的な目的で、単に食料としてではなかったというよね。

パルは死んだ父親と一つになるため自分の血や肉となって一緒に生きるために、父親を食ったと事もなげに話した。

そういや太郎も食われそうになってたし。

死者への愛情から魂を受け継ぐ事ができるとか、強い者を食べる事により強くなる事ができるとか、放っておけば他の動物に食われるだけなんだし、そうやって俺たちは生き延びてきたんだとこう話すわけだ。

さすがにこれだけは耐えられんとなってしまったのだが、この祭りでミトが死んでしまい、ミトを食べようとするパルに太郎は待ったをかける。

気分よく食えないんだからもうやめろよって諭したわけだ。

すごすぎるポトラッチ

太郎とパルはロシアのオムスクに到着したが、シベリア鉄道も駅も滅んでいた。

寒さに震える太郎はパルに誘われパルの故郷へ向かう事にする。

おりしもパルの故郷・西の村は中の村との「大祭り」を控えていた。

ポトラッチである。

ポトラッチはかつて北米の先住民たちが気前の良さを競った贈り物の宴だ。

子供の誕生や葬儀などで近隣部族を招いて大量の贈り物を贈り合う。

これだけの物が贈れる自分たちはすごいだろうと見せつけるためだから、しみったれた事をしてはいけない。

自分の威信やメンツを保つために惜しみなくふるまう。

これは貰った方もうかうかしてられない。

それ以上の物を返さなくてはならないからだ。

豊かさをひけらかす贈り物合戦はそのうちに破壊や殺戮へと転換する。

初めは毛皮やどこから見つけて来たのかチタンの鍋などで済んだが、次第にエスカレートし乗って来た丸木船を全部燃やしたり(こんなの焼いても豊かだから平気という意味)そのお返しに長が自分の家に火をつけ、ついには自死する者まで現れる。

ポトラッチを行う人間の心理は複雑ですごいエネルギーだと思う。

太郎の機転により二つの村の和平は保たれ、もっと強大な東の村の脅威が迫った事で村人たちは戦争の道を選ぶ。

でも戦争に参加したくない太郎は東の村に亡命する。

しかし村長からはここにいたいなら奴隷になれと言われてしまう。

しまった!ここにはもう奴隷という扱いがあったか!(笑)

 

これはSF設定となってて、高度な文明が滅びた後の人々が原始的な暮らしをしてるわけだが、そこは一筋縄ではいかぬ山田作品、ビジネスマン時代に培った適応力や交渉力で切り抜けて行く主人公が痛快ですな。

彼がちっとも卑屈じゃなくて出会った人たちを未開人と蔑んだりしてないのもいいな。

最初に出会ったパルは狩猟生活を送っていたが、東の村では村落を形成し農耕による食料の生産が始まっている。

文明の兆しだよね。

バリバリのビジネスマン時代は一日18時間労働などザラで、もちろんそれに見合った報酬も受け取っていたが、あの頃感じていた果てなく利益を追わねばならない圧がまったくない事に太郎は気づく。

いったい文明の進化とはなんなんだろうと、人類がたどって来た歴史を追体験しながら発達した文明社会の一員だった太郎は考えるのだ。