車イスバスケットボールを描いた漫画「リアル」の新刊が出た。なんと6年振りだ。
かつてバスケをよく知らなかったあたしは名作「スラムダンク」を読んで、バスケのルールや用語を覚えたものですよ。
だから車イスバスケという重いテーマも、この作者の手にかかれば面白い作品になるのは間違いない。
しかし思えば連載が始まってからもう20年たつんだよね(遠い目・・・)
中学の陸上部で短距離走の有望な選手だったのに、骨肉腫で片足を切断した戸川清春(19歳)
バイク事故を起こし乗せてた女の子に障害を負わせてしまい、学校を辞めたらバスケをする場所もなくし、自分の生き方も見失ってしまった野宮朋美(18歳)
野宮と同じ高校のバスケ部のキャプテンで、交通事故で下半身不随となった高橋久信(18歳)
この3人の視点人物を中心に物語は進んで来た。
まだ10代の若さで病気や障害に翻弄され、この社会にはお前の居場所はないのだと彼らが思い知らされる度に、ああなんて苦渋に満ちた人生なんだってため息が出た。
けどそんな深い悩みの中でも、自分が生きる意味を問いながら障害を受容していく姿や周囲へ心を開いていくのを見てると、なるほど人とは強いものだなって思うのだ。
しかしながら、作者も彼らの前に立ちはだかる困難や葛藤や苦悩を描いて来たけど、真に描きたいのは車イスバスケの魅力やゲームの面白さではないだろか。
そういう意味でこの15巻はその布石かな。
実はあたしは、車イスバスケについてはまあ選手もスゴイけど本当にスゴイのは高性能な車イスなんじゃね!?と思ってたのよね。これを読むまでは。
そんな認識は1巻で一蹴されたというね。
車イスの戸川清春と組んで賭けバスケで儲けた野宮朋美は、車イスだから楽勝と思ってた相手からこんなのフェアじゃないとかズルいとか文句をつけられる。こんなすごい車イスに乗っててズルいと言うわけだ。
野宮は戸川を「車イス界のヴィンス・カーター」として勝手にビンスと呼んでましてね、
マシンは今やビンスの脚なんだ
マシン脚を持ってねえからってヒガむなよ
おまえらアイバーソンと勝負して負けてもフェアじゃねえって言うのか?シャックに負けても汚ねえって言うのか?
シャックは鋼鉄の巨体を持ってる、アイバーソンは全身バネの塊
戸川清春はマシン脚
これはコイツの才能だ、実力なんだ
もうね、高性能の車イスを操る技術(チェアスキル)は実力なんだって実に明快で、作中一番好きなシーンでございます。
現実にもある障害者と健常者のギャップは、たぶん誰が悪いとかじゃなく障害者に対する正しい理解がないからなんだと思う。
カワイソーって目で見たら失礼だと思うからフツーにしてようと思って見ない振りをしてみたり。
どう接したらよいかわからないから。
障害者のリアルだけでなく、障害者への健常者のリアルも描かれてるんだよね。
さて、障害がある自分をまったく気にしないバスケ馬鹿の野宮の事が戸川は好きになる。
最もそんな事はおくびにもださないけど。
限りなく曇り無き眼を持つ野宮があたしも好きだ。
まだ10代なのに30代に見られてしまう強面の彼が、すべてを出し切って臨んだプロバスケチーム「東京ライトニングス」のトライアウト。そして落選。
強烈にライバル視してたスター選手の安西ヨシキに対して悔しいという感情もなくなったと、野宮はバスケをやめてしまった。
心が折れるってやつだよねえ。
野宮はジャパンオープントーナメントでタイガースの応援に行き、現在はドリームスの一員となった高橋と遭遇する。
お互いになんであいつがここに?と訝りながらも、高橋に太り過ぎを指摘された(高橋のこういうとこは健在)野宮は突如発狂したように暴走し、以前自分を笑ったバスケ少年たちを暴行して逮捕される。
サンキュー高橋。野宮の中で忘れていた悔しさがよみがえる。
それは良かったけど、暴力事件はまずい。
しかし人生っつーのは、ツイてない時はとことんツイてないもんで悪い事ばかり重なるもんだ。
野宮は留置場で自分を見つめ直すのであった。
一方タイガースは安積が留学して抜けた事でまとまりを欠くが、ヤマが練習を見にきた事で一気にまとまりを取り戻した。
「できやしないと言う連中を黙らせろ」
「奴らを引きずりおろせ」
酸素マスクをしながらのヤマの言葉は応援というには過激だったけどカッコよかった。
それでみんなが盛り上がったのは14巻での話(6年前)
抜き身の刀みたいな戸川は妥協を許さない。
骨肉腫で片足を失った彼は、いつ再発するかもしれないという不安があるからだ。
勝負に拘りすぎてチームメイトと揉める事の多かった戸川だが、Aキャンプに参加してから協調性も身につけたし。
だが打倒ドリームスで燃え上がったのに、ドリームスは全国ベスト4の強豪ウォリアーズに勝利し彼らが遥か彼方にかすんでいくのだった。
ナガノはドイツへ武者修行に行くと言い出し、戸川は代表合宿に落選していた事を知る。
「道がわからなくなったら原点に戻れ」という母の言葉を思いだして、戸川は墓参りに行く。
その日は母親の命日だった。
戸川はそこで安積に会い、今まで母の命日に誰かが花をあげてくれてたのが安積だったんだと知る。
安積は女子マネというよりお母さんみたいな感じだとずっと思ってたけど、マジお母さんのように戸川を見守ってきたんだねえ。
戸川が中学生で片足を失い家に引きこもってた時も、彼女は近くで黙って見つめていた。
それに気づいた戸川は彼女を抱きしめる。
そして「パラリンピックで金メダルを取る!」と告げるのだ。
まあ二人がこうなる事は子供にだってわかる。
戸川が片足を失う前から二人の間には淡い恋心があったし。
さっき障害に人生を翻弄されてと書いたけど、それはある意味正解である意味間違い。
この二人は戸川が障害者になった事で、彼女は懸命に戸川の心を見失うまいとし彼の理解者になろうと努めた。
そこには恋心などという浮かれたものより、確かなパートナーシップを見る気がするのである。
一方高橋は、車イスを自在に操るためにスピードと持久力がつくまではボールに触れないと黙々と基礎トレーニングをしてきて、ようやくボールに触れるがシュートが撃てないでいた。
シュートをしようにも車イスから手を離す事が出来ないのであった。
また、チーム練習に初めて参加するけど全然動けなくて自信を失ってしまう。
車イスバスケの独自のルールでは、障害の度合いで定められた「持ち点」でチームを編成する。
各選手は最小1・0点、最大4・5点の持ち点があり障害が重いほど点数が低くなる。
戸川は4・5点で高橋は1・0点、選手個々が抱える障害の程度は様々で、脊髄損傷の高橋の障害は重い。
ああもう次から次へと辛い事ばかりで、必死の努力は実を結ばず、希望は絶望へと変わりどうせ自分には無理だったんだとあきらめる。さりとて自暴自棄にもなり切れずまた同じ事を繰り返しグルグルと同じとこを回ってる様でいて蟻の一歩くらいは前進してるのだ。
その悩ましいグルグルが丁寧に描かれてるから、とても切ない気持ちになるのである。